国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)
医療局長 清田 明宏
 [せいた あきひろ]

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1961年福岡県生まれ。1985年高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。医師。1986年米横須賀基地病院インターン。1987年~(公財)結核予防会・結核研究所国際保健部医員。1990年~JICAイエメン結核対策プロジェクト医員。1995年~WHO・東地中海地域事務局結核対策担当官P4(エジプト・アレキサンドリア)。2000年~WHO・東地中海地域事務局 結核対策地域アドバイザーP5(エジプト・カイロ)2003年~04年ハーバード大学公衆衛生大学院・武見国際保健プログラム・リサーチフェロー。2006年~WHO・東地中海地域事務局 結核・エイズ・マラリア コーディネーターP6(エジプト・カイロ)。2010年~国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、通称ウンルワ)保健局長D2ヨルダン・アンマン在住。2015年第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞。

――世界保健機関(WHO)で約15年、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わる。患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績から、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞。

清田:私が医学部に進学した1980年代初めは、カンボジアのボートピープル、難民問題が盛んに報道され、犬養道子さんの『人間の大地』を読み、将来こういう人を助ける仕事に就きたいと思うようになりました。それでも最初は具体的にどうすればいいのか全くわからず、AMDAの学生団体で活動し、諸先輩の話を聞くうちに、将来は公衆衛生をやろう、国際保健の分野で医療にアクセスできない人びとを助けられるような仕組みをつくりたいと考えるようになりました。
卒業後インターンとして内科・外科・小児科・産婦人科すべてを回れる在日米軍横須賀基地病院で研修、これは非常にいい経験でした。当時は平和な時代でそんなに忙しくなく、アメリカ人は親身になって指導してくれ、英語の勉強にもなりました。
1年の研修が終わり、さてどうするか、公衆衛生の大学院で修士号をとることを考え資料を取り寄せましたが、受験資格に実務経験が必要。それで自分の経歴を手書きでA4用紙にまとめ、コピーして、全国、特に関東にある100以上の研究所に採用願いを送りました。返事をいただいたのはわずか2か所、1つは「コピーした経歴書を送るとは礼を欠いている」とお叱りの手紙、そしてもう一通が清瀬の結核研究所からで「空席があるから面接をしたい」無事採用され、それが結核との出会いでした。
当時結核研究所には国際協力部ができたばかりで、国内の結核患者さんの数は減ってきていました。附属病院で呼吸器内科の患者さんを診察し、3年目29歳の時、JICAのイエメン結核対策プロジェクトに参加しました。当時のイエメンは統一直後で治安もよく保健省内に日本がつくった結核研究所のオフィスで2年半、結核対策に取り組みました。

――古知新先生との出会いからWHOへ

清田:当時のWHOの結核対策のトップは日本の古知先生でした。古知先生は、患者さんがきちんと服薬するのを確認して治癒率をあげるというDOTS戦略を作り上げWHOの世界戦略とし、結核の治療システムをつくられた方で、DOTSをどうやってすすめていくかという1000ページのマニュアルを作成、実施にあたってのトレーニングコースに私もファシリテーターとして呼ばれ、それがご縁で1995年WHO・東地中海地域事務局 結核対策担当官としてエジプト・アレキサンドリアに着任しました。

――WHO勤務で考えたこと、独自の方法を模索

清田:最初は大変かなと思いましたが、シリア人のボスにいろいろ鍛えられました。 基本的に今でも私は上司に言われたら「はい」と言います。言われたことを言われたようにやるのではなく、「はい」と言った後は自分のやりたいようにやる。それで結果が予想、期待と違っても、経緯を自分で説明し、新たな提案ができればと思っています。自分のやりたいことを声高に主張し続けるというやり方もありますが、私はそういう方法をとりません。けれども自分のやりたいこと、大事にしていることは何かということをいつも意識しています。

――ハーバード大学公衆衛生大学院に留学

清田:2003年からサバティカルでハーバード大学公衆衛生大学院に留学しました。「武見国際保健プログラム」といって1983年に武見太郎元日本医師会長の構想「医療資源の開発と配分」に着目したハーバード大学が同大学公衆衛生大学院に設置した学際的プログラムです。毎年、世界各国から10名程度の中堅の専門家・研究者がフェローとして選考され、国際保健や医療政策に関する研究活動を行います。WHOに来て8年、少々マンネリ化してきた頃でとてもいい刺激になりました。結核の国際保健システム、世界銀行とハーバードの協働の保健政策のコースを選択し幅広い研究ができました。ディプロマをもらって、その後のキャリアアップにこの経験も評価されました。2006年からはWHO・東地中海地域事務局 結核・エイズ・マラリア コーディネーターP6でエジプト・カイロ勤務になりました。