世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局
テクニカルオフィサー 矢島 綾
 [やじま あや]

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1977年東京生まれ。ロンドン大学卒業後、タイのアジア工科大学院で環境衛生学修士号取得。東京大学農学生命科学研究科にてベトナムの寄生虫伝播対策で博士号取得。2009年よりWHO本部NTD伝播対策にJPOとして2年半従事し、2012年に正規職員として採用。2015年からWHO西太平洋地域事務所(マニラ)にて現職(NTD対策専門官)NTD制圧・対策に向け加盟国保健省の政策立案・実施・ドナー調整、資金調達等を支援。マニラにベトナム人の夫と娘(6歳)と在住。

――父の転勤を機にロンドンへ

矢島:父の仕事は海外出張が多く、私も小さい時から留学したい、いつか海外で仕事をしたいという気持ちを持っていました。大学1年の時、父がイギリスに転勤、将来外国で仕事をするのならこのまま日本の大学を卒業するより、外国の大学で学ぶ方がいいと考え、思い切って退学、ロンドンに行きました。
イギリスの大学入試は英語と高校時代の成績で決まり、ロンドン大学環境科学科に合格、寮生活が始まりました。日本では英語は得意なほうでしたが、やはり最初は英語でとても苦労しました。この時の苦労が今に生きていると思います。ロンドン大学の学生は全員、授業が終われば図書館に直行、夜まで課題文献を読みアサインメントをこなし授業ではどんどん発言します。私の場合英語力でハンディがありますから、人の3倍4倍努力しなきゃいけないと常に自分に言い聞かせ4年間猛勉強しました。理数科系はもともと得意でしたが、ほかの科目も英語がわかってくるとだんだん成績は上がってきました。
環境科学科のキャンパスは、バングラデシュ・パキスタンなど南アジアの移民系の人が多い地域にあり、大学生活でも多国籍の中に放り込まれました。フィールド・トリップの部屋割りで印象的なことがありました。同室のメンバーは、宗教がばらばら、シーク教徒、敬虔なムスリム、カソリック、私は仏教で夜いろいろ話しているときに宗教の議論になり、もちろん正解はなく、それぞれがもつ宗教・歴史的バックグラウンドの多様性と相互理解の難しさに気づきました。

――タイの大学院で修士号を取得後、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程に進学

矢島:ロンドン大学卒業後、以前から興味があった東南アジアの大学院への進学を考え情報収集していたところ、偶然ですが、父がタイに出張した時のカウンターパートがタイ工科大学のご出身で、その大学をご案内くださり、緑の多い郊外のキャンパスでアジア中から学生が集まり切磋琢磨する環境を強く薦められ、アプライすることにしました。思い起こすと節目節目で父のアドバイスがあったように思います。
タイでは指導教官が環境衛生学の専門家で、途上国では一般的なトイレの汚物の未処理のままの環境排出を防ぐための研究をしており、私も彼の指導のもとタイにおける自然環境と人間社会を通した病原体の伝播をテーマに環境衛生学の修士号を取得しました。
ここでベトナム出身の現在の夫と知り合うのですが、彼の両親は水産養殖の研究者、当時ベトナムでは魚の養殖や農業にトイレの汚物を再利用する資源循環型システムが広く実践されていましたが、寄生虫伝播などその健康リスクは計り知れませんでした。

WHOベトナム事務所およびベトナム保健省カウンターパートらと 2017年9月
WHOベトナム事務所およびベトナム保健省
カウンターパートらと 2017年9月

日本に帰って、1年環境コンサルタント会社で働きましたが、当時自ら起業していた父から「会社の駒にはなるな、これからは女性も専門性をもって頑張れるし、博士課程に行くのもいい」タイで面識のあった東京大学農学部の先生のもとで博士課程に進学、ベトナムの寄生虫伝播をテーマに研究を続けることにしました。先生の研究のお手伝いでしたら科研費等をもらえますが、オリジナルのテーマですから、先生からも「助成金の取り方は教えるから自分でやってみなさい。」片っ端から財団等にアプライして研究費を確保しました。魚が媒介する寄生虫の伝播対策の研究をするようになって、ベトナムの寄生虫については自分が一番知っていると言えるところまで頑張りました。博士号取得後、日本学術振興会の特別研究と日本の外務省のJPO両方に受かりました。国際機関勤務はこれを逃したらそんなにチャンスはないなと思い、JPOに決めました。

――言われたことをやるだけではつまらない、常にプラスαの結果を出す

矢島:WHOのNTD対策部は私が入職する3年前、2006年にできた新しい部署で、WHO、加盟国、ドナーがパートナーとなり共同でNTD制圧対策プログラムを作り上げているところでした。
WHOでは私の人生の師とも言える一盛和世先生に出会い、鍛えられました。「これはアヤがやったと目に見える仕事をしなさい。お手伝いだけでなく、アヤと言えば〇〇、という様にみんなに一目おかれるものを築いていかないといけない」「想像力をフル回転させて、心は常に現場に置きなさい」「どんな状況下に置かれても、信念とパワーでやり通しなさい」 私自身も現状を分析し考え企画するのが好きで、各国のプログラムが本当に必要としているものを必死で探り、今のプログラムにはこれが足りない、これがあればプログラムをもっと先に進められる、というようなプロダクツやツールを提案するために一盛先生の指導のもと昼夜邁進しました。また仕事を頼まれたら、プラスαを考えて結果を出すようにしました。そうするうちにそれが本当に必要なプログラムの一部になっていき、2年半たって、「これアヤがいなくなったら困るね」という仕事が増え、正規スタッフの道につながりました。うちの部署は、将来スタッフになれそうな人材をJPOとして採用し、育てようとしていて上司にも恵まれました。