ロンドン医療センター
院長 伊原 鉄二郎
 [いはら てつじろう]

伊原 鉄二郎

1955年 東京都生まれ、18歳で単身渡英
1983年 ロンドン大学医学部卒業
1984年 家庭医研修医/伊原クリニック開業
1991年 ロンドン医療センター設立
2017年 香港診療所開設
英国医師会会員、英国王立内科医学会会員、英国家庭医学会登録医、香港医学会会員、欧州日本人医師会前会長。GP(総合家庭医)として診療診察に当たるとともに、将来の本格的な日本人家庭医の育成にも努力している。

――高校卒業後、単身渡英されたのは当時としては珍しいことです。

伊原:私は小学生のころから世界地図、朝日年鑑の統計をみるのが大好きで、日本と同じ小さい島国のイギリスがなぜ7つの海を支配できたのか?いつか広い世界を見て回りたいと考えていました。
中学3年の時、高跳びの練習中骨折し入院、入院といっても足以外はいたって元気で、となりのベッドのおじさんから、「これからは英語とロボットの時代だよ」と何度も聞かされ、英語の小説を読むようになりました。
退院後しばらく体育の授業に出席できませんでした。それまで運動は得意でしたが、出席できないことで成績評点は1。当時の都立高校入試は内申書重視でしたから、理不尽な思いは消えませんでしたが、進学した高校で出会った先生のおかげで今があると思います。
イギリス人の書く小説を読み進めるうちに、彼らの話の展開、理屈がとてもおもしろく、これが大英帝国の世界制覇の理由だと思いました。本場へ行って英語を学びたい。英語ができれば世界をわたっていい仕事に就ける、狭い日本から出たいという気持ちが強くなりました。進路指導の三者面談で担任の先生が母に「この子は外国に行かせて広い世界で活躍させてやってほしい。」早慶合格は確実な成績でしたから、母は驚き反対しましたが、祖母が「私は琴も書も免許皆伝だが英語ができたらもっと世界が広がっていたと思う。行かせてやりなさい。」と背中を押してくれました。ブリティッシュ・カウンシルなどに相談に行きましたが、「自国で高等教育が受けられない途上国の人ならともかく、なぜ恵まれている日本から行く必要があるのか?」しかも当時は日本の高校卒業資格でイギリスの大学は受験できませんでした。それでも私はあきらめきれず、単身渡英、ロンドンで高校から再スタートしました。1974年のことです。

――イギリスの教育制度と教育における「個人の尊重」と「懐の深さ」に助けられる。

伊原:現地大使館の方にも大変お世話になり高校入学が叶いました。個人を育むイギリスの教育制度はまさに私が求めていたもので、勇気づけられ、がむしゃらに勉強し、卒業時には上位の成績をおさめることができました。
イギリスの大学入試は高校の成績と推薦状で決まります。進路相談で私が「将来、弁護士になりたい」と言うと、3人の教官は「成績は十分だが君に弁護士は向かない。理由は、だまっていられない、正直すぎる」「医師はどうか?健康で正直でお人好しは医師がいい」ということで推薦状を書いてくれました。ところがロンドン大学医学部の先進国外人枠は2名しかなく私は不合格になりました。担任の配慮があって「この生徒を落とすのはもったいない」と当時のシャーリー・ウイリアム文部大臣が手紙を書いてくれ、翌年には合格になりました。
日本で大学入試システムについて盛んに議論されていますが、建前的な平等と公平性を重視するあまり個人の適性が軽んじられています。成績がいいという理由だけで本人の適性を見極めず医学部に進学するのは後で困ることになると思います。今宇宙ロケット分野でロイヤルアカデミーの会員になっている友人がいます。

 

ロンドンにて 1978年

ロンドンにて 1978年

高校時代から大変優秀、彼は医学部志望でしたが物理に進まされました。もし彼が医師になっていたら患者さんが何人も亡くなっているだろうな(笑)と思います。つまりそれだけ将来の職業を選択する際には当人の適性が重要で、まわりの大人もそれを見極める責任があるということです。

 

――イギリスの医学教育で培われるノブレス・オブリージュ。

伊原:晴れてロンドン大学の医学部に進学、新入生100名は様々な階層からきていました。労働者階級20名、中産階級から20名というふうに、そうでなければ医師としてすべての国民を診療できません。しかし卒業時には全員同じ紳士淑女イギリスの求める医師像に教育され、経済的にも恵まれた安定した生活が保証されています。
研修中、教授からきつく言われることはあっても怒鳴られたり侮辱されたことは一度もありませんでした。教師は学生を尊重し、可能性の芽をつぶさない、学生同士嘲笑するような行為は自らの価値を下げていると教育されました。

サウサンプトン総合病院で友人のトニーと

サウサンプトン総合病院で友人のトニーと
ある患者さんの手術の調整をして教授に指示を仰いだ時、忘れもしない8月15日、その日は医師免許取得試験の結果が出た日でした。「君は今日から医師なのだから私は君の判断に従う。責任を持って診療にあたるように」と言われました。責任の重さを痛感した瞬間です。医師は信頼されなければ存在意味はない。それから2年間猛勉強しました。1日4時間以上眠ることはありませんでした。