――卒業後、医師として活動するための選択肢が日本にはなかった。

伊原:卒業後日本の病院で働くことも考えましたが、制度の壁に阻まれました。「イギリスで医学を学ばれて日本で医師免許を取られた方はいません。そういう前例はありません」またイギリスのGP制度を日本に導入したいという夢がありましたが、日本では私は高卒扱いなので厚生省(当時)のキャリア技官の道は閉ざされていました。
イギリスに戻り、GPとして研鑽を積むことになりました。クラーク教授から「ロンドンに日本人は何人いるか」と聞かれ、当時8000人でしたが、特に日本人を診るとは考えていませんでした。そのうちどこで聞いたのか、日本人の駐在員の奥様が子どもさんを連れて来られるようになり、診てさしあげるとこちらが恐縮するくらい感謝されました。

サウサンプトン総合病院免疫学研究室の懇親会
サウサンプトン総合病院免疫学研究室の懇親会

「医療は医師しかできない」と日本人は思っているので、熱発、やけどですぐ医師のところに行きます。イギリス人は「熱が3日たっても下がらないから何か他の重篤な病気かもしれない」といって受診します。説明の仕方も違う。私はロンドンで広いコネクションをもっていましたから、患者さんをすぐ適切な医療機関につなぐことができました。12月に46人、翌年1月144人、2月680人、いわゆる口コミで患者さんがどんどん増えました。

――1991年ロンドン医療センター設立

ロンドン医療センター起工式 1991年
ロンドン医療センター起工式 1991年
ロンドン医療センター(LIC London)の外観
ロンドン医療センター(LIC London)の外観

伊原:1990年当時、日本の景気はよく、「東京を売ればアメリカ全土が買える」と言われました。日本が責任をとらなければいけない時代になっている。アメリカやイギリスの病院は世界中にあってその都市でトップ5に入っている。そういう病院を日本も建てなければいけないと思うようになりました。
東京海上から資金提供が受けられ、イギリスで最大の医療保険会社ビューパ社を巻き込んで計画がスタートしました。
当時イギリスでは株式会社は医療ができません。理由は、株式会社は有限責任、ところが東京海上、ビューパ社が後ろ盾であれば無限責任と認められ、1992年ロンドン医療センターが開院できました。
日本式の医療で24時間365日患者さんを受け入れ、人間ドックで駐在員の胃・肝臓等の健康管理をしっかりするため検査機器を設置しました。私が51%の株を持ち社長に就任、医療活動は軌道に乗りましたが、それから5年後に東京海上との資本関係は解消され、多額の借入金の返済が全部終わったのは今から5年前です。

――2017年香港診療所開設

伊原:私は日本の医療実態を知るために、5年くらい前からたびたび帰国していろんな方にお目にかかってお話を伺っています。トランジットの香港で友人に会ったとき、香港には日本人医師がいない、香港の医療は在留邦人の医療のニーズとずれていて日本に帰国して治療を受けた方がいい場合もあるし、最近では文化のはざまで、また語学力不足から子どもさんのメンタル・ヘルスの問題も増えていると知りました。中国や近隣の東南アジア諸国の日本人のためにもなると思い、香港に開院しました。

在香港日本商工会議所で講演 2017年
在香港日本商工会議所で講演 2017年
ロンドン医療センター香港
ロンドン医療センター香港

 

――医療とはその国の歴史と文化の結晶、医師はあらゆる情報をもっている。

伊原:日本の場合、個人を尊重しない、されない。それは相手も自分も尊重しないことにつながります。
一人あたりGDPが数百ドルの貧しい国の人を見て「かわいそう」「何かしてあげたい」と思うのは悪いことではありませんが、多くの日本人は「どうしてそうなったのか」という根本の原因を考えません。結果、医療だと病院という箱をつくり、機材を設置するだけで、その国にあった医療制度を整える方法・仕組みには踏み込まない。医療はその国の歴史と文化の結晶、「仕事をするための仕掛け」を押し付けてもその実行方法を一緒に思い悩み考えて答えを出さなければ相手の理解は得られません。
日本には武士道、公益資本主義といったすばらしい伝統・文化がたくさんあるのに国内で議論することが少ない。アジア・アフリカの人に欧米の亜流を語ったところで、それなら彼らは本家である欧米に直接学ぶでしょう。世界の様々なすばらしさを知ったうえで日本人が自らの経験、考えを語った方が、より相手を説得できます。

院内で医師の心構えについてレクチャー
院内で医師の心構えについてレクチャー
英国GP研修で講義
英国GP研修で講義

欧州日本人医師会の会長を昨年まで受けていました。これは欧州で教育を受けた欧州在住の日本人医師の団体です。医師はいろんなところに顔を出しいろんな情報を持つことが出来ます。つきあう人は上流階級から庶民まで、非常に大事なネットワークになり、イギリスならそういうキャリアをもった人を大切にします。戦略的に価値がある存在でそういうノウハウを利用しない手はないと考えるからです。

外国で活動したいと思ったら、まず飛びこんで、相手を知り、5年は我慢してください。行く先は、当人が中心となって仕事のできる45-60歳の時に有望な国に行くのがいい。それが先進国なのか発展途上国なのかどこかわかりません。そういうところにいて活躍していれば、日本との仕事にも必ずつながり、最近元気がないといわれる日本経済の発展にも貢献できると思います。

アンマン難民キャンプのクリニックにて

アンマン難民キャンプのクリニックにて

インタビュアー 清水眞理子