グローバルヘルス・ロールモデル・シリーズ

世界の様々な地域で、また、グローバルヘルスの多彩な方面で活躍する日本人の方々にキャリア形成のプロセスをお尋ねしました。(インタビュアー 清水眞理子)

グローバルヘルス・ロールモデルシリーズ PDF版(4.8MB)


外務省国際機関人事センター
課長補佐(インタビュー当時) 松島 悠史  [まつしま ゆうじ]

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2011年に人事院入省。以降、日本の国家公務員の採用や給与、人材育成等に関する政策に携わる。2017年より行政官として米国留学(長期在外研究院制度)し、2018年にシラキュース大学マックスウェル行政大学院で公共政策修士Master of Public Administration(Syracuse University Maxwell School of Citizenship and Public Affairs)、2019年にヒューストン大学で人材開発学修士(Houston University, Executive Master of Human Resource Development)を取得。2019年に帰国後、人事院の官房部局、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部を経て2020年から外務省国際機関人事センター課長補佐。以降、国際機関の邦人職員増加・昇進支援のための種々の施策を担当。

地引:松島さんには、センターのアドバイザリー会議やセミナー・動画にも講師としてご参加いただいており、いつも貴重なご意見をありがとうございます。まずは松島さんのご経歴について教えてください。

松島:私は2011年から人事院に国家公務員として勤務しており、2017年~19年、役所の制度で米国に留学もしています。シラキュース大学マックスウェル校で公共政策、ヒューストン大学で人材管理・開発(HRD)の修士号を取得し、帰国後2020年4月から外務省国際機関人事センターの現在のポジションにいます。...続きを読む


国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)シリア事務所
プログラム・サポートオフィス長(インタビュー当時) 川口 尚子  [かわぐち なおこ]

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京都生まれ。米国ニューヨーク市立大学・国際犯罪司法学学士号取得、イスラエル国テルアビブ大学・紛争解決に係る政治学修士号取得。主にアフリカ・中東にてNGO、政府機関、国際機関などでコンサルタントとしてプロジェクト管理・評価に携わる。2016年より国連プロジェクトサービス(UNOPS)マリ、ブルキナファソ、アフガニスタン事務所にてプロジェクト・マネージャー及び副マネージャーとして勤務。2021年より国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)シリア事務所でプログラム・サポートオフィス長として勤務。

――目標が見出せなった中高時代、英語が苦手だったから、アメリカの大学に進学

川口:京都生まれの大阪育ち、中学受験を無事突破したものの、中高時代はモチベーションがわかず、無為に過ごす日々、そんな時にミロシェビッチが人道に対する罪で起訴され、公判が行われました。その報道は、私が子どもの頃にみたユーゴスラビア紛争下、やせ細り、眼をぎらつかせて寒さに震えている、当時の私と同年齢の子どもたちのイメージとリンクしました。...続きを読む


世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局
コミュニケーションコンサルタント 別府 京  [べっぷ みやこ]

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1985 年京都府出身。2007年奈良女子大学 生活環境学部 食物科学科卒業。2009年東京大学大学院 医学系研究科 国際地域保健学教室卒業(Master of Public Health 取得)。2009年電通サドラー・アンド・ヘネシー株式会社 メディカル ライター。2014年アストラゼネカ株式会社 コーポレートアフェアーズ統括部 パブリックリ レーションズ。2021年WHO 西太平洋地域事務局コミュニケーションコンサルタント。

――ラオスでのフィールドワークをきっかけに、健康分野におけるコミュニケーションに関心をもつ

別府:私は幼い頃から食べることや料理が好きで、大学では食物科学を専攻し、亜鉛が骨の代謝に与える影響を研究していました。実験を繰り返す中で、様々な食品を自由に食べられるようになった現在に、私たちがより健康になるには、栄養素の働きを理解することに加えて、健康的な食べ方や生活を理解し、それぞれの生活に習慣として定着させていくことが重要なのではと考えるようになりました。次第に人間の健康行動について研究をしたいと思うよりになり、...続きを読む


世界保健機関(WHO)南東アジア地域事務所
テクニカルオフィサー 谷水 亜衣  [たにみず あい]

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1987年兵庫県生まれ。2010年カナダ・ヨーク大学卒業、カナダ正看護師国家試験合格、オンタリオ州正看護師資格取得。 2010年~2015年カナダ・トロントのリハビリテーション病院、がんセンターで臨床看護師兼リサーチアシスタント。2015年〜2016年クウェート国立がんセンター向上プロジェクトにカナダのがんセンターから看護教育専門員として派遣。2016年〜2018年カタール国立がんセンター向上プロジェクトにカナダのがんセンターから臨床スペシャリストとして派遣。2018年~ 2020年 WHO バングラデシュ国事務所(country office)(JPO)。2020年~現在、WHO 南東アジア地域事務所 (regional office) テクニカルオフィサー。

――カナダでスポーツ科学、看護学を学ぶ

谷水:高校時代からスポーツが大好きでスポーツ科学、スポーツ心理学に興味をもつと同時に将来は看護師になりたいと思っていました。

カナダのヨーク大学でスポーツ科学キネシオロジーを専攻、カナダではセカンドディグリーで看護師になる人が多いことを聞き、2010年に看護学科卒業、国家試験に合格しました。当時、新人研修期間の給与はカナダ政府が負担していました。しかし私はビザ切り替えに6カ月かかりその制度を使えず、希望していた病院は新人の私に給与は払えないということで入職できず、...続きを読む


世界保健機関(WHO)トンガオフィス
カントリーリエゾンオフィサー 瀬戸屋 雄太郎  [せとや ゆうたろう]

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1974年東京都生まれ。2004年東京大学大学院健康科学博士号取得。2003年~2011年国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所 流動研究員・研究員・室長。2006年~2007年メルボルン大学国際メンタルヘルスセンター客員研究員。2011年~2013年WHO ジュネーブ本部JPO ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー。2013年~2014年WHO ジュネーブ本部テクニカルオフィサー。2014年~2017年WHO 太平洋オフィス(フィジー)テクニカルオフィサー。2017年~2021年WHO トンガオフィス テクニカルオフィサー。2021 年~現在WHO トンガオフィスカントリーリエゾンオフィサー。

――大学で精神保健を専攻し博士号を取得、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)に入職、研鑽を積む

瀬戸屋:東京大学の保健学科で精神保健を専攻、児童思春期のメンタルヘルスの研究で博士号を取得し、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所に入職しました。メンタルヘルスが重要な社会課題になり、厚労省がメンタルヘルスについての法律をつくり政策実施する際にはエビデンスを提供。同時に日本のメンタルヘルスの現状分析や地域中心の新しい支援方法等について国際学会で発表したり、日本とオーストラリアの共同研究で日本を代表して参加したり、国際的な活動にも注力し、ネットワークを広げていました。...続きを読む


聖路加国際大学公衆衛生大学院 医療政策管理学 教授
一般社団法人サステナヘルス代表理事
小野崎 耕平  [おのざき こうへい]

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聖路加国際大学公衆衛生大学院教授(医療政策管理学)、一般社団法人サステナヘルス代表理事。ジョンソン・エンド・ジョンソン、アストラゼネカ執行役員などを経て現在に至る。厚生労働省保健医療政策担当参与、厚生労働大臣の私的懇談会「保健医療2035」事務局長のほか、世界経済フォーラム第4次産業革命日本センターアドバイザリーボードほか複数のグローバル企業や団体の社外アドバイザー等を務める。非営利独立シンクタンクの日本医療政策機構に2007年に参画、現在は理事。法政大学法学部法律学科卒業、ハーバード公衆衛生大学院修士課程修了(医療政策管理学)

――医療現場にはマネジメントの視点が欠けていた

小野崎:1990年代、まだ小さかったJ&J日本法人に入社、手術用医療器材の営業、マーケティングなどに10年ほど従事しました。医療機関の中でユーザーである医療スタッフに製品の使い方を説明するなど、手術室などの医療現場の最前線をつぶさに観察する機会に恵まれました。
その時気づいたのが、医療現場のマネジメントやオペレーションには大いに改善のチャンスがあるということです。手術室に関わらず医療機関全体の、意思決定、組織体制から、細かいところではスタッフの動線や物品管理、スタッフのスケジューリングなどは、改善の宝庫に見えました。...続きを読む


ビル&メリンダ・ゲイツ財団
グローバル・デリバリー部門 シニア・アドバイザー(インタビュー当時)
馬渕 俊介  [まぶち しゅんすけ]

馬渕 俊介

1977年米国ペンシルバニア州生まれ。2001年東京大学教養学部卒業(文化人類学専攻)、国際協力機構(JICA)入構。2007年ハーバード大学ケネディスクールMPP取得。2007年~2010年マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社、南アフリカ支社勤務。2011年ジョンズ・ホプキンス大学修士号取得。2011年世界銀行入行。2016年ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生博士号取得。2018年ビル&メリンダ・ゲイツ財団入団、デリバリー部門の戦略担当副ディレクター(2018-2019)、グローバル・デリバリー部門のシニア・アドバイザー (2019-現在)、2020年10月〜2021年4月COVID-19対応検証独立パネル事務局。

――大学では文化人類学を専攻、文化相対主義に共感

馬渕:私は学者の家庭で育ったので、普通に会社に入ってサラリーマンになる、ビジネスをやるというイメージはなく、将来は好きなことを探してチャレンジしようと考えていました。中学・高校時代は野球、大学では文化人類学にのめりこみました。きっかけはパプアニューギニアの部族の儀礼の映像を見たことで、冒険心が駆り立てられました。そこには今までの自分の価値観では計り知れない文化があり、文化に優劣はなく、それぞれの文化、社会の合理性があるという文化相対主義に共感し、文化人類学者を目指して休暇中は世界中を旅してまわりました。...続きを読む


世界保健機関西太平洋地域事務所(WPRO)
高齢化担当コーディネーター 岡安 裕正  [おかやす ひろまさ]

岡安 裕正

1999年慶應義塾大学医学部卒業。1999年在沖縄米国海軍病院インターン。2000年マッキンゼー・アンド・カンパニー東京オフィス勤務(コンサルタント)。2005年スタンフォード大学経営大学院卒業、マッキンゼー・アンド・カンパニー米国ニュージャージーオフィス勤務。2008年世界保健機関(WHO)ポリオ根絶イニシアティブ、医官。2014年世界保健機関(WHO)ポリオ根絶イニシアティブ、チームリーダー(イノベーション・製品開発)。2017年世界保健機関(WHO)メコン圏マラリア撲滅計画コーディネーター。2019年~世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務所(WPRO) 高齢化担当コーディネーター。

――医学を専攻して考えた「私が本当にやりたいこと」

岡安:父も祖父も医師でしたから科学の知識と技術で人を助けることができる医師に漠然とした憧れを持っていました。幼稚舎から慶応で受験に左右されることなくのんびり過ごしていましたが、高校時代に周りの友人や先生の応援もあって無事医学部に進学できました。大学時代に英語のディベートをしていたこと、短期の語学留学や交換留学プログラムで海外に行く機会があり、将来海外で勉強したいという気持ちがあり、医師免許取得後、研修先に在沖縄米国海軍病院を選びました。...続きを読む


独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)
国際部長 佐藤 淳子  [さとう じゅんこ]

佐藤 淳子

1990 年3 月共立薬科大学卒業。1990年4月東京慈恵会医科大学助手(~1998年3月)。1997年11月医学博士号取得。1998年4月国立医薬品食品衛生研究所医薬品医療機器審査センター審査官。2002年9月米国食品医薬品局(U.S.FDA)に Guest Reviewer として駐在(~2003年3月)。2004年4月改組により(独)医薬品医療機器総合機構主任専門員。2007年4月(独)医薬品医療機器総合機構審査役。2012年5月欧州医薬品庁(EMA)にLiaison Officer として駐在(~14年4月)。2016年4月国際業務調整役を経て国際協力室室長(~18年7月)。2018年8月より現職。

――薬学を専攻し、研究職を経て薬事行政に携わる

佐藤:大学では薬学を専攻し、卒業後は東京慈恵会医科大学の助手に採用され、学生教育の補助をしつつ研究を続けました。薬の副作用のメカニズムを知るために、ぜんそく薬や抗菌薬についてどういう機序でけいれんなどの副作用がおこるのかについて研究していました。その間に関連病院で薬剤師のアルバイトをしていた時に、正式に日本で承認されていない薬を患者さんに調剤する機会がありました。外国では薬として承認されていますが、日本では実験用試薬としてのみ入手可能でした。...続きを読む


国際協力機構 人間開発部次長
吉田 友哉  [よしだ ともや]

吉田 友哉

1972年東京都生まれ。1995年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年、国際協力事業団(現 国際協力機構)入団。1999年 JICAフィリピン事務所保健医療分野担当所員として赴任。2002年米国国際開発庁(USAID)グローバルヘルス局出向。2004年 JICA人間開発部感染症対策チーム配属。2006年ロンドン大学衛生熱帯医学大学院「途上国の公衆衛生」プログラム留学(2007年修了)。2007年 JICA無償資金協力業務部保健チーム配属。2011年ガーナ保健庁地域保健政策アドバイザーとして赴任、地域保健政策実施支援及び保健管理情報システムの導入を支援 2014年 JICA人間開発部着任。アジア・大洋州保健事業、母子保健・栄養・デジタルヘルス担当課長・次長を歴任。

――大学では政治学を専攻、国際協力事業団(現国協力機構)入団

吉田:大学では政治制度の国際比較研究のゼミでイスラエルを担当しました。国際協力にも関心があって国際部の留学生向けの英語の講義なども受講し、3年時にはアメリカのミシガン大学に短期留学しました。
将来は国連に入ってグローバルな課題解決に取り組みたいと思い、そのために大学院修士課程への進学を計画していたところ、大学卒でも国際協力に携わることができる国際協力事業団(現国際協力機構)のことを知り応募しました。 ...続きを読む


世界保健機関(WHO)財務部
トレジャリー・リスクマネジメントセクション
ファイナンスマネジャー 松尾 嘉之  [まつお よしゆき]

松尾 嘉之

1964年京都生まれ、東京育ち。1987年早稲田大学法学部卒業。1992年6月INSEAD MBA(経営学修士)卒業(フランス、フォンテーヌブロー)。1995年日本証券アナリスト試験合格。日本証券アナリスト協会検定会員。2016年米国公認会計士試験合格(US CPA、米国ワシントン州登録)。1987年邦銀に就職、2000年から現在まで国連機関に勤務。2000年~04年国際労働機関(ILO)財務部Central Payroll Unit チーフ。2004年~07年世界保健機関(WHO)財務部 財務専門職。2007年~11年ユネスコ本部(UNESCO)、ユネスコ職員のための貯蓄・貸付部門ゼネラルマネージャー。2011年3月~現職。

――大学卒業後銀行に就職、海外派遣研修生に選ばれフランスへ

松尾:アメリカとフランス両方の大学院に合格しましたが、高校時代フランス語を第2外国語として勉強したこともあって、フランスを選び、トゥールでフランス人家庭でホームスティしながら語学研修、続いてフォンテーヌブローのINSEAD(インシアード)に入学しました。当時は授業8割英語、2割フランス語で行われていたため、英仏語を含む3ヶ国語ができることが入学条件でした。26歳にして初めて飛行機に乗ってフランスに着き、今までと全く違う人生が始まりました。 ...続きを読む


国立国際医療研究センター 国際医療協力局
運営企画部保健医療開発課 国際開発専門職/産婦人科専門医
小原 ひろみ  [おばら ひろみ]

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青森県出身。1995年弘前大学医学部卒業。1995年~2000年自治医科大学と同関連病院にて臨床、産婦人科専門医取得。2000年~01年東京大学大学院医学系研究科国際地域保健専攻。2001年~03年 JICAカンボジア母子保健プロジェクト長期専門家(産婦人科)。2004年ロンドン大学公衆衛生学熱帯医学大学院 疫学修士号取得。2005年~ 国立国際医療研究センター 国際医療協力局等。2007年~10年JICA「カンボジア地域における母子保健サービス向上プロジェクト」チーフアドバイザー。2010〜11年厚生労働省大臣官房国際課 課長補佐。2011年~14年WHO西太平洋地域事務局 非感染性疾患とヘルスプロモーション部 母子保健栄養課 リプロダクティブヘルス医官。2016年~19年JICAラオス保健政策アドバイザー。2014 年第66回日本産科婦人科学会学術総会 優良ポスター賞受賞。2018年国際産婦人科連合の女性産婦人科医賞受賞。

――世界の女性の健康、健康の公平性に関心を持ち、産婦人科医を目指す

小原:医学部4年生の時に国際保健に関心のある学生のネットワークに参加し、NGOでカンボジアに行きました。私は医療人材の乏しい(郡部では人口当たり医師数が全国平均の1/3)青森県出身で、それまで出身地域に対する不公平感を感じていましたが、カンボジアの現状をみて、また犬養道子さんの本により「難民」の存在を知り、公平性や正義から取り残されている人、弱い立場で声を上げられない人の役に立ちたいと思うようになりました。 ...続きを読む


イントラヘルスインターナショナル
チーフテクニカルオフィサー・バイスプレジデント
穂積 大陸  [ほづみ だいりく]

穂積 大陸

1964年青森県生まれ。1989年順天堂大学医学部卒業(MD)。1991年カリフォルニア大学バークレー校公衆衛生修士(MPH)。2007 年マサチューセッツ工科大学経営修士(MSM)。22年にわたり、パキスタン、ザンビア、マラウイ、ケニア、ガーナなど20カ国以上で保健医療政策プロジェクトに携わる。ハーバード大学公衆衛生大学院武見プログラムフェロー、インストラクター、東京大学医学部の非常勤講師を歴任。貧困国向けの保健医療技術に携わるNPO、PATH(シアトル)で9年間シニアアドバイザー、2016年より開発途上国における保健システム強化を目的としたNPO、Management Science for Health の保健医療技術担当ディレクターとして活躍。現在、IntraHealth International のチーフテクニカルオフィサー兼バイスプレジデントとして同組織のCenter for Technical Excellence の運営を担当、リーダーシップの活性化と30カ国以上のフィールドプロジェクトの技術の質の向上に日々努めている。

――医学部在学中アジア各地で研修・留学、国際保健分野に興味をもち、横須賀米海軍病院でインターン、UC Berkeleyで公衆衛生を学ぶ

穂積:私は1989年に医学部を卒業、まさにバブル時代に大学生活を送っていました。今だと国際保健、当時熱帯医学と言っていましたがその分野に興味を持つ人が増えてきて、私も夏休みにシンガポール大学の交換留学、タイの皮膚科病院の見学、難民キャンプにも行きました。バングラデシュでの新しい下痢症対策など、公衆衛生プログラムのことを雑誌で読んだとき、私には日本で臨床医になって患者さん一人ひとり診るより国際保健分野での計画立案やマネージメントの方が効率がいいと閃いてしまったのです。 ...続きを読む


国連人口基金(UNFPA)ボリビア事務所
代表 / 助産師 木下 倫子  [きのした りんこ]

木下 倫子

1975年長野県生まれ。千葉大学看護学部卒業後、東京葛飾赤十字産院に入職、助産師として5年間勤務。2003年米国ノースカロライナ大学にて公衆衛生学修士号取得(国際母子保健学専攻)。2003年ノースカロライナ大学疫学部から研究者としてコンゴ民主共和国キンシャサに派遣。2006年UNICEFコンゴ民事務所キンシャサ及びゴマ(プランニング、モニタリングと評価担当)。2009年UNICEFニューヨーク本部(ナリッジマネージメント担当)。2012年UNICEFニカラグア事務所(副代表)。2014年英国ロンドン熱帯衛生大学にて修士号取得(疫学)。2016年UNICEFブルキナファソ事務所(副代表)。2020年UNICEF西、中央アフリカ領域事務所パートナーシップ上級アドバイザー(代理)。2020年8月より現職。南アフリカのウェスタンケープ大学公衆衛生博士課程に在学中。

――助産師は命が始まる瞬間に立ち会える

木下:大学で看護学を専攻し看護師と助産師の免許を取得、東京葛飾赤十字産院に入職しました。ここは第三次医療機関だったので緊急帝王切開もたくさんありましたが、同僚の助産師や産婦人科医とともに自然分娩を全面的に推進、院内で勉強会を開催して学びを深め、都内で自然分娩では最も人気の高い産院になりました。また、私はその頃から現場での研究が大好きで、育児電話相談室を通して初産の方が抱える問題をまとめるなど、充実した5年間でした。 ...続きを読む


りんくう総合医療センター 国際診療科
部長 南谷 かおり  [みなみたに かおり]

南谷 かおり

1965年大阪生まれ 1987年 ブラジル国エスピリト・サント連邦(国立)大学(Universidade Federal do Espirito Santo) [UFES]医学部卒業。1988年 ブラジル国医師免許取得。1988年 大阪大学医学部研究生(老年病医学教室)。1989年 ブラジル国エスピリト・サント州 Santa Casa 病院救急科研修医。1990年ブラジル国リオ・デ・ジャネイロ市 国家公務員連邦病院 (Hospital Federal dos Servidores do Estado)[HFSE] 放射線科研修医 1992年 大阪大学放射線医学教室研究生。1996年 日本医師免許取得。1996年 市立泉佐野病院 放射線科研修医、国立大阪病院(現国立病院機構大阪医療センター)市立貝塚病院を経て、2004年 りんくう総合医療センター市立泉佐野病院 放射線科。2006年 りんくう総合医療センター 健康管理センター兼国際外来担当医。2012年~地方独立行政法人 りんくう総合医療センター 国際診療科 部長。2013年 大阪大学医学部附属病院 国際医療センター 副センター長。2013年 大阪大学大学院医学系研究科 国際・未来医療学講座 特任准教授。2019年~大阪大学大学院医学系研究科 公衆衛生学教室 招へい教授

――父の転勤でブラジルに

南谷:私は大阪で生まれ、エンジニアの父の転勤で11歳小6から15年間ブラジルで育ちました。 ポルトガル語が全く話せなかったので2年遅れの小4に編入。現地校はひとつの校舎を小学校と中学校が半日ずつ使うので授業は半日制。日本人補習校(小規模の日本人学校)も半日制だったので両方通うことになりました。勉強は大変でしたが、日本人補習校の中3修了時にはある程度ポルトガル語ができるようになって...続きを読む


世界銀行本部
栄養専門官 岡村 恭子  [おかむら きょうこ]

岡村 恭子

1972年大阪生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。米国アマースト大学 国際関係学学士号取得。ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院国際保健学修士課程修了。2001年より国連児童基金(UNICEF)ネパール事務所、東京事務所、エチオピア事務所に勤務。2014年よりグローバルリンクマネージメント株式会社に所属。2018年12月より現職

――原体験は子ども時代に過ごしたイラン

岡村:私は日本のごく普通の中流家庭に育ち4人兄弟でにぎやかに過ごしていました。12歳の時、父の転勤でイランへ、革命後のイラン・イラク戦争の渦中にあり、物資は切符制で母は苦労したかもしれませんが、突然、庭にプールのある家、運転手付きベンツ、メイドがいて、という生活がはじまりました。車で下町を通った時に見たすすけた顔をした子どもたち、靴もぼろぼろ、車に近寄って物乞いをする。 ...続きを読む


国境なき医師団(MSF)日本
手術室看護師 白川 優子  [しらかわ ゆうこ]

白川 優子

埼玉県出身。高校卒業後、4年制(当時)坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校に入学、卒業後は埼玉県内の病院で外科、手術室、産婦人科を中心に約7 年間看護師として勤務。2006 年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後約4年間、メルボルンの医療機関で外科や手術室を中心に看護師として勤務。2010年よりMSF に参加し、スリランカ、パキスタン、シリア、イエメンなど9か国で17回の活動に参加してきた。著書に『紛争地の看護師』(小学館刊)。

――高校3年の時、将来の進路を模索する中で気がついた「看護師になりたい」熱い想い

白川:私は将来働くことを考えて就職率の良い商業高校に進学、珠算や簿記を学び、休日は友人とショッピングに出かけたり、アルバイトしたり楽しい高校生活を送っていました。
高校3年になると就職活動が始まり、当時はバブルが崩壊する前だったので求人もたくさんあって、周りの友人は次々内定をもらっていました。就職に有利と思って商業高校に進学したのに就活する気になれず、決して働きたくないわけではなくやりたいことが見つからず、悶々とした日々を過ごしました。 ...続きを読む


WHO(世界保健機関)感染症ハザード
シニアアドバイザー 進藤 奈邦子  [しんどう なほこ]

進藤 奈邦子

東京慈恵会医科大学卒、専門は内科学、感染症学。英国セントトーマス病院、オックスフォード大ラディクリフ病院、慈恵医大内科学講座での臨床研修を経て、国立感染症研究所、感染症情報センター主任研究官として勤務。2002年よりWHOに派遣、2005年よりWHO職員。感染症アウトブレイク情報の収集と解析、フィールドレスポンス、インフルエンザ流行防止策などを担当。SARS鳥インフルエンザ、インド洋津波、アフリカでのウイルス性出血熱、新型インフルエンザ、中東呼吸器症候群コロナウイルスなどのWHOレスポンスを担当。2012年1月よりインフルエンザ及び呼吸器系疾患のチームリーダー。2013年1月よりさらに担当範囲を広げ、新興・再興感染症の臨床管理および研究アジェンダ、ウイルス感染症に対する新戦略イニシアチブBRaVeを率いる。緊急事態にはWHO戦略的健康危機管理センターのスタッフとして行動し、世界的な健康危機となる重症急性呼吸器系疾患や鳥インフルエンザ、エボラ出血熱のアウトブレイクを担当。チームと共に世界各地で、極めて伝染性・危険性の高い病原体の感染制御・患者治療に関わる。2015年7月に調整官(上級管理職)に就任。重症感染症患者の集中医療管理とサイエンスの最先端をつなぐ特殊ネットワークWHO EDCARNを組織、21世紀型感染症アウトブレイク対策を展開する。 WHOの危機対応強化をねらう組織改革に伴い、2016年10月にEDCARNに加え、新設されたラボネットワーク、モデリング・予測ネットワークを束ねるマネージャー(管理調整官)に任命される。2018年1月よりシニアアドバイザーとしてWHOの感染症危機管理のブレイン役を務める。

――脳腫瘍で亡くなった弟の遺言で医師を目指す

進藤:高校時代アメリカに1年留学、建築家、ランドスケープデザイナーになりたいと思ったこともありましたが、弟を若くして脳腫瘍で亡くし、弟の遺言で医師を目指しました。
1990年に大学を卒業、脳神経外科で研修、大学からの選抜留学生として、研修時代にロンドンとオックスフォードで臨床経験を積みました。...続きを読む


GHIT Fund 投資戦略 兼 ビジネス・ディベロップメント
シニアディレクター 鹿角 契  [かつの けい]

鹿角 契

1982年 札幌生まれ。2007年 東京大学医学部医学科卒業。2007-2010年 独立行政法人国立国際医療研究センター (前国立国際医療センター)総合診療科・救急部勤務。2010-11年ジョンズホプキンス大学公衆衛生大学院で公衆衛生修士号(MPH)取得(フルブライト奨学生)。2011-12年 East-West Centerアジア太平洋リーダーシッププログラム(在ホノルル)、2012-13年世界銀行勤務(ヘルススペシャリスト)。2013年~現職。日本・米国 (ECFMG)両方の医師資格を有する。東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻生物医化学教室非常勤講師。日米リーダーシッププログラム・フェロー。

――NHKでも放映された山崎豊子さん作「大地の子」に大きく影響を受ける。

鹿角:小学生のころ、NHKドラマで「大地の子」を見て、日本と中国の狭間で揺れ続ける主人公の姿に純粋に感動し、「自分も何かしないといけない。」という思いに突き動かされました。「日本人の自分に何ができるのか?」広い世界とのつながりを考えると歴史的に難しいことも多い中で、将来は外交や国際関係に関わる仕事がしたいと漠然と考えるようになりました。...続きを読む


ロンドン医療センター
院長 伊原 鉄二郎  [いはら てつじろう]

伊原 鉄二郎

1955年 東京都生まれ、18歳で単身渡英
1983年 ロンドン大学医学部卒業
1984年 家庭医研修医/伊原クリニック開業
1991年 ロンドン医療センター設立
2017年 香港診療所開設
英国医師会会員、英国王立内科医学会会員、英国家庭医学会登録医、香港医学会会員、欧州日本人医師会前会長。GP(総合家庭医)として診療診察に当たるとともに、将来の本格的な日本人家庭医の育成にも努力している。

――高校卒業後、単身渡英されたのは当時としては珍しいことです。

伊原:私は小学生のころから世界地図、朝日年鑑の統計をみるのが大好きで、日本と同じ小さい島国のイギリスがなぜ7つの海を支配できたのか?いつか広い世界を見て回りたいと考えていました。中学3年の時、高跳びの練習中骨折し入院、入院といっても足以外はいたって元気で、となりのベッドのおじさんから、「これからは英語とロボットの時代だよ」と何度も聞かされ、英語の小説を読むようになりました。...続きを読む


世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局
テクニカルオフィサー 矢島 綾  [やじま あや]

矢島 綾

1977年東京生まれ。ロンドン大学卒業後、タイのアジア工科大学院で環境衛生学修士号取得。東京大学農学生命科学研究科にてベトナムの寄生虫伝播対策で博士号取得。2009年よりWHO本部NTD伝播対策にJPOとして2年半従事し、2012年に正規職員として採用。2015年からWHO西太平洋地域事務所(マニラ)にて現職(NTD対策専門官)NTD制圧・対策に向け加盟国保健省の政策立案・実施・ドナー調整、資金調達等を支援。マニラにベトナム人の夫と娘(6歳)と在住。

――父の転勤を機にロンドンへ

矢島:父の仕事は海外出張が多く、私も小さい時から留学したい、いつか海外で仕事をしたいという気持ちを持っていました。大学1年の時、父がイギリスに転勤、将来外国で仕事をするのならこのまま日本の大学を卒業するより、外国の大学で学ぶ方がいいと考え、思い切って退学、ロンドンに行きました。 ...続きを読む


国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)
医療局長 清田 明宏  [せいた あきひろ]

清田 明宏

1961年福岡県生まれ。1985年高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。医師。1986年米横須賀基地病院インターン。1987年~(公財)結核予防会・結核研究所国際保健部医員。1990年~JICAイエメン結核対策プロジェクト医員。1995年~WHO・東地中海地域事務局結核対策担当官P4(エジプト・アレキサンドリア)。2000年~WHO・東地中海地域事務局 結核対策地域アドバイザーP5(エジプト・カイロ)2003年~04年ハーバード大学公衆衛生大学院・武見国際保健プログラム・リサーチフェロー。2006年~WHO・東地中海地域事務局 結核・エイズ・マラリア コーディネーターP6(エジプト・カイロ)。2010年~国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA、通称ウンルワ)保健局長D2ヨルダン・アンマン在住。2015年第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞。

――世界保健機関(WHO)で約15年、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わる。患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績から、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞。

清田:私が医学部に進学した1980年代初めは、カンボジアのボートピープル、難民問題が盛んに報道され、犬養道子さんの『人間の大地』を読み、将来こういう人を助ける仕事に就きたいと思うようになりました。...続きを読む