国立国際医療研究センター 国際医療協力局
運営企画部保健医療開発課 国際開発専門職/産婦人科専門医
小原 ひろみ  [おばら ひろみ]

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青森県出身。1995年弘前大学医学部卒業。1995年~2000年自治医科大学と同関連病院にて臨床、産婦人科専門医取得。2000年~01年東京大学大学院医学系研究科国際地域保健専攻。2001年~03年 JICAカンボジア母子保健プロジェクト長期専門家(産婦人科)。2004年ロンドン大学公衆衛生学熱帯医学大学院 疫学修士号取得。2005年~ 国立国際医療研究センター 国際医療協力局等。2007年~10年JICA「カンボジア地域における母子保健サービス向上プロジェクト」チーフアドバイザー。2010〜11年厚生労働省大臣官房国際課 課長補佐。2011年~14年WHO西太平洋地域事務局 非感染性疾患とヘルスプロモーション部 母子保健栄養課 リプロダクティブヘルス医官。2016年~19年JICAラオス保健政策アドバイザー。2014 年第66回日本産科婦人科学会学術総会 優良ポスター賞受賞。2018年国際産婦人科連合の女性産婦人科医賞受賞。

――世界の女性の健康、健康の公平性に関心を持ち、産婦人科医を目指す

小原:医学部4年生の時に国際保健に関心のある学生のネットワークに参加し、NGOでカンボジアに行きました。私は医療人材の乏しい(郡部では人口当たり医師数が全国平均の1/3)青森県出身で、それまで出身地域に対する不公平感を感じていましたが、カンボジアの現状をみて、また犬養道子さんの本により「難民」の存在を知り、公平性や正義から取り残されている人、弱い立場で声を上げられない人の役に立ちたいと思うようになりました。
1994年に、カイロで国際人口開発会議(ICPD-International Conference on Population and Development)が開催され、リプロダクティブヘルス・ライツ、性と生殖に関わる健康が注目され始めました。当時医学部5年生で国際保健医療学会に参加し、その際に貴重なアドバイスをいただいたのです。
「乳幼児の死亡は改善されつつあり、これからは女性の健康が重要課題だが、国際保健分野に日本人産婦人科医は少ない。」この言葉で、私は産婦人科専攻を決めました。医学部卒業後、自治医科大学病院などで5年の研鑽を積み、産婦人科専門医の資格も取りました。この5年間は診療と教育と研究、月10日前後の当直勤務あり、自己研鑽の週末・夜間の学会参加あり、ととても忙しい日々でしたが、産科、婦人科、麻酔科、新生児科、生殖関連と広く学んだことが、その後とても役に立ちました。

――カンボジアの医療人材育成に関わって20年

小原:カンボジアとの関わりは、2001年から2年間 長期専門家として「JICAカンボジア母子保健プロジェクト」で産婦人科の医師、助産師など医療人材の育成・研修の仕組みづくりに携ったのが最初です。その後、ロンドン大学公衆衛生学熱帯医学大学院修士課程(疫学)に留学し、カンボジアの妊産婦死亡・重症産科疾患の調査を行い、修士を取りました。

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カンボジア国立母子保健センター
外来の様子(2003年)
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同センター入院病棟の様子(2003年)
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同センター産科ICUでの技術指導(2003年)
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産婦人科医師研修修了証書授与(2003年)

それまでは首都のプノンペンを中心とした活動でしたが、2007年から3年間のJICAプロジェクトは、地域における母子保健サービスの改善が目的だったので、それまで援助団体が入ったことのない僻地を回りました。滞在中大きな病気はしませんでしたが、舗装のないでこぼこ道を車で7時間移動した際には頸椎を傷めてしまい、しびれがでて、数か月首にコルセットをしたことがありました。
僻地の助産師さんを支援するために、その郡や県の母子保健行政官と病院の産婦人科医・助産師さんが協力して、その地域の状況にあった助産師支援活動を行う制度をつくり、全国展開しました。後年マニラでの国際会議で、カンボジアのNGOの方が「カンボジアには、現場の助産師を支援するこんなにすばらしい仕組みがある。」と堂々と発表しているのを聞き、誰が作ったかは関係なく、自分事としてオーナーシップがしっかりと根付いていることを知り、この仕事をしていて本当によかったと思いました。

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僻地の助産師さんにインタビュー、ご苦労がわかる
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予防接種アウトリーチ活動に同行
母子保健行政官への研修(カンボジア2008年)
母子保健行政官への研修(カンボジア2008年)