GHIT Fund 投資戦略 兼 ビジネス・ディベロップメント
シニアディレクター 鹿角 契  [かつの けい]

鹿角 契

1982年 札幌生まれ。2007年 東京大学医学部医学科卒業。2007-2010年 独立行政法人国立国際医療研究センター (前国立国際医療センター)総合診療科・救急部勤務。2010-11年ジョンズホプキンス大学公衆衛生大学院で公衆衛生修士号(MPH)取得(フルブライト奨学生)。2011-12年 East-West Centerアジア太平洋リーダーシッププログラム(在ホノルル)、2012-13年世界銀行勤務(ヘルススペシャリスト)。2013年~現職。日本・米国 (ECFMG)両方の医師資格を有する。東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻生物医化学教室非常勤講師。日米リーダーシッププログラム・フェロー。

――NHKでも放映された山崎豊子さん作「大地の子」に大きく影響を受ける。

鹿角:小学生のころ、NHKドラマで「大地の子」を見て、日本と中国の狭間で揺れ続ける主人公の姿に純粋に感動し、「自分も何かしないといけない。」という思いに突き動かされました。「日本人の自分に何ができるのか?」広い世界とのつながりを考えると歴史的に難しいことも多い中で、将来は外交や国際関係に関わる仕事がしたいと漠然と考えるようになりました。

――海外に行く機会を得る。

鹿角:中学生の時に、英語のスピーチコンテストに参加、入賞して姉妹都市オレゴン州のポートランドに数週間行く機会を得ました。すべてが新鮮であり、同時に文化的な違いなど、いろいろな場面で衝撃も受けました。英語でのコミュニケーションも最初はどうなることかと思いましたが、帰るころには不思議と自然に話しているような感覚があり(実際は、しどろもどろだったと思いますが)、さらに世界中の人と関わっていきたいという気持ちが強くなりました。高校の時には新聞社主催の環境エッセイコンテストに応募し、幸いにもオーストラリアのフレーザー島にてエコツーリズムを学ぶプログラムに参加する機会を得ました。
こういった機会を通じて、日本と世界の違いを肌で感じ、世界中どんな地域でも人が健康に生活できることが必要不可欠な要素であると痛感しました。そこで、私は医療という切り口から海外と関わり、「大地の子」をみて決意した「日本が世界に貢献できる」分野に進みたいと考えました。

――東京大学理科III類に進学。

鹿角:入学後、特に最初の教養課程の2年間は大学、日本にとどまらずいろいろな国を訪れ、多くの人と出会う貴重な時間であったと感じます。例えば、当時中国においては公式な委員会がまだ立ち上げられていなかった、国際学生インターンシップ団体であるアイセックに参加し、日・米のメンバー合同で中国現地において活動し、北京大学や精華大学と協力関係を結びました。「大地の子」以来中国に関心がありましたから、第二外国語は医学部進学者では当時あまり多くなかった中国語を選択。中国語は発音が非常に重要であり、言語強化プログラムのインテンシブコースも活用し、現地でのコミュニケーションに大いに役立ちました。親日家が多い台湾でも友人がたくさんでき、その後10回近く行くことになります。今にして思うと若い時に学んだ語学力は大きいと思います。
3年次から本郷に移って、専門課程が始まりました。医学の勉強と並行して海外、特に途上国に行き現場を見たいという思いを常に抱いていました。例えば慶応SFCやICUの仲間と一カ月近くケニアのキベラ・スラムや農村部で滞在し、現地の医療・教育・環境に関する課題を肌で感じました。また医学部・看護学部の学生でチームをつくり、ブラジルへ行き、現地の医学部教授にお世話になりながらファベーラ(スラム地域)での医療状況を学びました。せっかく行くのであれば現地の人と意思疎通したいと思い、ブラジルに行く前にポルトガル語も仲間同士で練習しました。外国語に関しては、完璧を目指すのは無理であるという前提のもと、怖気づくことなく、また引け目も感じることなく自分が考えることを発言することが大切だと考えています。
この時期に同じ大学だけでなく、国内外の異なる分野・バックグラウンドの仲間・友人ができたことは今でも自分にとって大きな財産であると思っています。

――国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)で救急医療の現場に立つ。

鹿角:国立国際医療センター救急部の先生方は、人間として魅力的で尊敬できる方ばかりで、私自身本当に鍛えていただいたと感じています。優先度判定を行い最善の初期治療を行うという救急独特の環境は、いつも自分を奮い立たせてくれました。一方で救急は社会の縮図でもあり、医療システムのあり方など、いろいろな場面でジレンマを感じることもありました。医師として臨床の仕事をしているうちに、システムだったり、医療政策だったりそこが変わらないと解決しない問題が多々あることに気づきました。