世界保健機関西太平洋地域事務所(WPRO)
高齢化担当コーディネーター 岡安 裕正  [おかやす ひろまさ]

岡安 裕正

1999年慶應義塾大学医学部卒業。1999年在沖縄米国海軍病院インターン。2000年マッキンゼー・アンド・カンパニー東京オフィス勤務(コンサルタント)。2005年スタンフォード大学経営大学院卒業、マッキンゼー・アンド・カンパニー米国ニュージャージーオフィス勤務。2008年世界保健機関(WHO)ポリオ根絶イニシアティブ、医官。2014年世界保健機関(WHO)ポリオ根絶イニシアティブ、チームリーダー(イノベーション・製品開発)。2017年世界保健機関(WHO)メコン圏マラリア撲滅計画コーディネーター。2019年~世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務所(WPRO) 高齢化担当コーディネーター。

――医学を専攻して考えた「私が本当にやりたいこと」

岡安:父も祖父も医師でしたから科学の知識と技術で人を助けることができる医師に漠然とした憧れを持っていました。幼稚舎から慶応で受験に左右されることなくのんびり過ごしていましたが、高校時代に周りの友人や先生の応援もあって無事医学部に進学できました。大学時代に英語のディベートをしていたこと、短期の語学留学や交換留学プログラムで海外に行く機会があり、将来海外で勉強したいという気持ちがあり、医師免許取得後、研修先に在沖縄米国海軍病院を選びました。

在沖縄米国海軍病院インターン時代同僚と
在沖縄米国海軍病院インターン時代同僚と

ここはアメリカの病院として運営されており、アメリカに将来留学したい人の登竜門になっていました。5人いた日本人の同僚のバックグラウンドはさまざまで、社会人経験を積んでから医学部に入り直して医師になった方、大学医学部助教授(当時)からアメリカで専門医になるために来ておられる方、価値観もさまざまで随分影響を受け「自分は本当は何がやりたいのだろう」と考えるきっかけになりました。

――マッキンゼーからスタンフォード留学、WHOでインターンを経験

岡安:インターンのときに、マッキンゼーのコンサルタントの方が書かれた「経営の考え方をつかって病院経営を改善する」という日経ビジネスの記事を読んだことが大きな転機になりました。もともと医療の社会的側面、医療経済、公衆衛生に興味がありましたが、小泉首相就任前後の当時、規制改革、官から民へと言う時代の流れがあり、病院経営にも民間企業のアプローチが有効なのではないかと考えてマッキンゼーを受けて採用されました。
2000年から3年間東京オフィスで働き、その後会社の留学制度をつかってスタンフォード大学経営大学院に留学しました。医学部では経営について学ぶ機会がなかったので、いつか海外で経営学、経営理論を体系的に学んでみたいと思っていました。
英語力の差を痛感しながらも、スタンフォードの先生方はプレゼンテーションに優れている方が多く(学生からの評価も厳しい)刺激になりました。世界中からさまざまなバックグラウンドの同級生が来ていて、視野を広げる意味でも留学してよかったと思います。
当時ポスト9.11のスタンフォード大学の先生や同級生の大きな問題意識は、テロの解決のためには、戦争ではなく、貧困や医療、教育など世界の課題解決が不可欠だというものでした。そのような雰囲気に影響され、私も国際保健の世界を見てみたいと思い、WHO本部の結核対策の部署でインターンをすることにしました。
WHOでのインターンでは、途上国の保健制度が脆弱で、基本的な医療サービスを受けられない多くの人がいることを実感しました。また、マッキンゼーとは異なり、WHOには当時は民間企業の経験がある人はほとんどいなかったので、自分の経験が活かせるのではないかと思いました。
ちなみに、2005年のスタンフォード大学の卒業式の来賓スピーチはスティーブ・ジョブズの有名な”Stay hungry, stay foolish”でした。

――マッキンゼーのアメリカ・オフィスに転籍、製薬業界のアジア戦略等を担当

岡安:MBAを卒業したあと、インターン先のWHOを含めて進路をいろいろ考えましたが、まだ、英語で仕事をすることの不安があったことと、マッキンゼーでもう少し経験をつみたいと考えて、マッキンゼーのニュージャージー州のオフィスに転籍しました。ニュージャージー州には主要なヘルスケア企業の本社が多く存在し、私は主に製薬会社のマーケティング、M&A、アジア市場戦略などのコンサルティングを担当しました。このアメリカでの仕事の経験と問題解決、プレゼンテーションなどのスキルは後でWHOに転職した際の大きな財産となりました。

――マッキンゼーからWHOへの転職

岡安:マッキンゼーで3年仕事をした後、国際保健の仕事がしたいという気持ちに変わりはなく転職を決心しました。2008年7月マッキンゼーを退職し、転職活動を始めました。転職活動についてはWHOインターン時代のイギリス人の上司が私をWHOのいろいろな部署に紹介してくれました。そのときにポリオの部局で新しいワクチン開発・技術移転のプロジェクトの担当者を探しており、まずTemporary Staffとして採用され、その後正式な公募がありFixed-term Staffになりました。