世界銀行本部
栄養専門官 岡村 恭子  [おかむら きょうこ]

岡村 恭子

1972年大阪生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。米国アマースト大学国際関係学 学士号取得。ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院国際保健学 修士課程修了。2001年より国連児童基金(UNICEF)ネパール事務所、東京事務所、エチオピア事務所に勤務。2014年よりグローバルリンクマネージメント株式会社に所属。2018年12月より現職。

――原体験は子ども時代に過ごした イラン

岡村:私は日本のごく普通の中流家庭に育ち4人兄弟でにぎやかに過ごしていました。12歳の時、父の転勤でイランへ、革命後のイラン・イラク戦争の渦中にあり、物資は切符制で母は苦労したかもしれませんが、突然、庭にプールのある家、運転手付きベンツ、メイドがいて、という生活がはじまりました。車で下町を通った時に見たすすけた顔をした子どもたち、靴もぼろぼろ、車に近寄って物乞いをする。メイドから聞いた「息子が戦争に行って心配、皆が革命を望んだけれど、生活はよくならない。革命前に始まった地下鉄工事は止まったまま。」子ども心に感じた「貧富の差って何?」という疑問が、ずっと心の奥にくすぶり続けました

――――「国際公務員になろう」一枚のビラが目にとまる

岡村:大学では政治学を専攻、援助政策、対外援助について学んでいました。学内で偶然「国際公務員になろう」というビラを手に入れ、国際機関で発展途上国の開発に携われることを知りました。かっこいい!そのビラを大切に手元におき、国連英検を受け、準備を進め、新島スカラシップ(アメリカのアマースト大学の三年生に正規学生として転入学できる)に応募、合格しました。これには後日談があって、私が選ばれたわけは「雑草のようにしぶとそうだったから。優秀な人はたくさんいるけれど、全米ナンバーワンのリベラルアーツの学校で生き延びるには失敗してもめげない強さが必要。」その意味は入学後思い知ることになります。

――――アマースト大学進学、インターンで「食と栄養と貧困」に気づく

アマースト大学留学時代、寮の部屋に international student club の仲間たちを呼んでパーティー
アマースト大学留学時代、寮の部屋に
international student club の仲間たちを呼んでパーティー

岡村:英語のハンディもあり、文化的差異を経験し、そこでサバイブするには雑草のようにしぶとく生き延びることと思い知りました。
私の関心は「食と栄養と貧困」に絞られてきて、UNICEFのNY本部栄養担当職員に面会を申し込んだり、そのほかにもさまざまな人に会って話を聞きました。アメリカには栄養士や医療者とは違った視点で公衆衛生について学べる公衆衛生大学院があり、ジョンズ・ホプキンス大学を訪ねました。そこで出会ったKeith West先生は、米軍の栄養士として沖縄に来られたこともあり意気投合。ネパールの農村で微量栄養素欠乏症と子どもの死亡率に関する疫学研究等をされていました。「あなたの思っていることは実現するべき、経済的に大変でもアメリカの大学は入学資格が保留できるからとにかく受験しなさい。」時間があまりない中、自分の考えをまとめ猛勉強し合格しましたが、留学資金の目処が立たず帰国、実際に進学するまで2年かかりましたが、West先生は教授会で私の入学資格保留を承認し待っていてくれました。

――留学資金の確保に奔走、お金がなくても若いから頑張れた

岡村:当時はバブル崩壊後でODAがカットされ、それに伴い開発系の奨学金も激減、アルバイトで貯めたお金とアメリカのフィランソロフィーの奨学金と少額ですがアマーストカレッジ卒業生対象の奨学金などをかき集めてようやく留学が叶いました。住居は6人でシェア、国籍はさまざまで、それぞれが作った夕食を分け合ったり、とても充実した学生生活でしたが、ニューヨークで短期の無給インターンシップをしていた時には路上で売っている1つ1ドルの塩パンでしのぐこともありました。
大学院は2年のコースで最初の1年はコースワーク、6カ月のインターンシップを経て論文を書いて修了。インターンシップ先は自分で探すのですが、私はお金に余裕がなくスタイペンドがなければできないことをきちんと手紙に書いて、国連機関・NGOなどにたくさん応募しました。WFPのカンボジア事務所で4カ月間インターン兼コンサルタントとして採用されました。途上国に一人で住むのは初めてで最初は怖かったけれど若いっていいですね。がんばれましたし、新しい経験をすることがとても楽しかった。カンボジアにいる間にJPOの試験を受けていろんな人に話を聞きに行くうちに、自分の関心が明確になりました。

――UNICEFでの10年、ネパール・東京・エチオピアで貴重な経験を積む

地元食材で栄養価の高い離乳食を作り配布している女性グループに話を聞く(ネパール)
地元食材で栄養価の高い離乳食を作り
配布している女性グループに話を聞く(ネパール)

岡村:私の使命は「コミュニティの人びとの力をうまく引き出して家族が健康で適切な栄養を摂取できる社会をつくること」と考えていたところ、UNICEFネパールの方と意見が一致、魅力を感じてそこで働くことにしました。「自分を駆り立てること、本当にやりたいことは何か」を問い続け、実現させるのが実は大切なことで、何でもいいから国際機関で働きたいというのでは続かないと思います。

赤ちゃんの体重計測を視察、村人が知恵を出し合って作った大切な籠をつかう(エチオピア)
赤ちゃんの体重計測を視察、村人が
知恵を出し合って作った大切な籠をつかう
(エチオピア)

その後東京事務所では若い人に対してメッセージを発し、日本政府と一緒に政策対話ができました。次のエチオピア駐在では現場で自分の予算とチームを引っ張って事業を一から築き上げるという醍醐味が味わえました。ネパールでも、エチオピアでも、自分の専門性を当てはめようとすると失敗することがあって、コミュニティ内部から「こうしたほうがいい」という思いが沸き上がらない限り新しい社会規範はできないし、「何がいいか」は私が言うべきことではないということを現場スタッフから学びました。私の常識は相手の常識ではない。エチオピアの場合、同僚の価値観を知った上で、民族による違い・関係性をじっくり見ながら、人との信頼関係を築いて動く、相手の言ったことの是非を判断するのではなく「なぜそう言っているのか」をまず理解して対話をすると真摯な態度で答えてくれるという経験ができました。物事の本質は専門家の眼鏡をかけて理論武装しても見えないということです。ただし、何事もとことん交渉しすり合わせながら進めていかなくてはならず、結果もすぐには見えにくいというこの仕事の性質上、理論やデータが示していることをきちんと把握・理解して手の内に持っておくことは絶対に必要です。

ヨード欠乏症対策会議にエチオピア代表団とともに出席(タンザニア)
ヨード欠乏症対策会議にエチオピア代表団とともに出席(タンザニア)