世界保健機関(WHO)南東アジア地域事務所
テクニカルオフィサー 谷水 亜衣  [たにみず あい]

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1987年兵庫県生まれ。2010年カナダ・ヨーク大学卒業、カナダ正看護師国家試験合格、オンタリオ州正看護師資格取得。 2010年~2015年カナダ・トロントのリハビリテーション病院、がんセンターで臨床看護師兼リサーチアシスタント。2015年〜2016年クウェート国立がんセンター向上プロジェクトにカナダのがんセンターから看護教育専門員として派遣。2016年〜2018年カタール国立がんセンター向上プロジェクトにカナダのがんセンターから臨床スペシャリストとして派遣。2018年~ 2020年 WHO バングラデシュ国事務所(country office)(JPO)。2020年~現在、WHO 南東アジア地域事務所 (regional office) テクニカルオフィサー。

――カナダでスポーツ科学、看護学を学ぶ

谷水:高校時代からスポーツが大好きでスポーツ科学、スポーツ心理学に興味をもつと同時に将来は看護師になりたいと思っていました。

カナダのヨーク大学でスポーツ科学キネシオロジーを専攻、カナダではセカンドディグリーで看護師になる人が多いことを聞き、2010年に看護学科卒業、国家試験に合格しました。当時、新人研修期間の給与はカナダ政府が負担していました。しかし私はビザ切り替えに6カ月かかりその制度を使えず、希望していた病院は新人の私に給与は払えないということで入職できず、ようやくリハビリテーションの病院に臨床看護師としての職が見つかりました。ここで臨床をしながらがんセンターで看護学の教授のリサーチアシスタントになり、看護師目線でのケアの在り方、がん患者を再発の恐怖から守るケア、チーム医療内の看護師の役割などのリサーチを手伝いました。

――看護は臨床だけではない、看護目線で多くの力になれる

谷水:日々の活動が認められたのか、希望していたカナダトップクラスのがんセンターに転職できました。院内にはいろいろな看護師がいるので、自ら声をかけて話を聞き、看護師として何ができるのか、将来のキャリアアップについて考えました。1年目から学会に参加して、国内の地域による差異を学び、3年目にはパナマで開催された国際がん看護協会主催の国際学会で、私が所属するがんセンターのプロジェクトについて発表しました。これは病院のサポートがあって叶い、ここで世界各国の看護師と出会い、将来は国際的な仕事をしてみたいと思うようになりました。

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2014年 臨床看護師として病院勤務時代
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2013年 カナダの看護協会主催の学会で質問

――クウェートの国立がんセンターに出向、驚くことばかりで得難い経験

谷水:系列のクウェート国立がんセンターの向上プロジェクトで看護師が必要と聞き、手を挙げました。自分の知らない国の看護を経験したいという気持ちから参加しましたが、クウェートでは驚くことばかりでした。一言で言うと文化の違い、男女がはっきり分けられていて、看護師のほとんどがクウェート人ではない、90%がインド、フィリピン、スリランカ、バングラ、ヨルダンからの出稼ぎでした。医療センターは20年前の医療、教科書でみた光景でチーム医療という考えは浸透していませんでした。

クウェートの看護師は学ぶ機会がないので、向学心旺盛でスポンジのように知識を吸収していきました。現地の看護師の専門知識を引き出すことが私の仕事と思い、何か教えると言うより、「今のシステムがどう変わるとあなたが向上できるか?」と聞くと、今までそんなことを聞いてくれる人がいなかったと私のことを受け入れてくれるようになりました。

私が新卒看護師のときからずっと思っていたのは、病院内のいろいろなシステムをつくる人の中に看護師はいない。看護師なら病院の天井が白の味気ないものにはしない。ベッドに横になって1日を過ごす患者さんにはもっと気持ちを和らげる色や工夫ができるはずと思っていました。テクニカルなことより、「患者さんのためになる医療」という同じゴールに向かって協力し合うこと、多国籍の看護師のリレーションシップ・ビルディングに注力しました。最初は仕事の話より一緒にお茶をして信頼関係を築き、5か月の予定を1年3カ月に延ばしてプロジェクトを完了できました。

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クウェートにて、看護師たちと
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クウェートで一緒に働いていたカナダチームと(2015年)

――博士号取得を考えたが、続いてカタールに派遣される

谷水:クウェートに一緒に派遣された看護師で博士号取得している人がいました。私と同年齢で、当時の国際看護協会の会長がカナダ人でその人のメンターシップをうけていて、将来WHOで働きたいとのことでした。私は、会長がカナダ人だということすら知りませんでした。さらに会長はWHOにもっと看護師を送りたいと考えている。同い年なのに明確に将来像を描いていてすごいなと思いました。私も将来国際機関で働いて、専門のがん看護と国際看護をあわせたプロジェクトができればと考え、マギル大学の大学院を受験し合格、奨学金もとることができました。

その時、在籍していた病院から、カタールの病院への派遣の話があり、また国際的なプロジェクトに携われると思うと心が揺れ、博士課程の進学は1年保留、カタールに行くことにしました。

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2017年カタールで担当したプロジェクトが保健大臣賞受賞
(右から4人目がカタール保健大臣)

クウェートの経験があるからカタールも簡単と思っていましたが、国によって事情は全く違いました。現地の看護師はリサーチの重要性を認識していたので、自分事として落とし込む術を教える必要があったのとチーム医療をさらに円滑に進めるために、医師、看護師、栄養士、理学療法士相互の知見、知識を共有するファシリテーターの役を私が担いました。さらに医療エコノミスト、プロジェクトマネージャー、行政官など臨床の現場にいない人と同じゴールに向かってヘルシー・ディベイトするおもしろさがありました。

――カタール日本人会でJPOの情報を得る

谷水:日本大使館の新年祝賀会に出席して日本人の知り合いができました。20代後半の若い人のグループがあって、女子会に参加したとき、「20年後には国際機関で働きたい」と言うと「20年も待たなくても亜衣ちゃんなら今行けるよ」JPOの制度を教えてもらいました。その手があったかと急遽情報収集し、書類を作成、運よくWHOに採用されました。