イントラヘルスインターナショナル
チーフテクニカルオフィサー・バイスプレジデント
穂積 大陸  [ほづみ だいりく]

穂積 大陸

1964年青森県生まれ。1989年順天堂大学医学部卒業(MD)。1991年カリフォルニア大学バークレー校公衆衛生修士(MPH)。2007 年マサチューセッツ工科大学経営修士(MSM)。22年にわたり、パキスタン、ザンビア、マラウイ、ケニア、ガーナなど20カ国以上で保健医療政策プロジェクトに携わる。ハーバード大学公衆衛生大学院武見プログラムフェロー、インストラクター、東京大学医学部の非常勤講師を歴任。貧困国向けの保健医療技術に携わるNPO、PATH(シアトル)で9年間シニアアドバイザー、2016年より開発途上国における保健システム強化を目的としたNPO、Management Science for Health の保健医療技術担当ディレクターとして活躍。現在、IntraHealth International のチーフテクニカルオフィサー兼バイスプレジデントとして同組織のCenter for Technical Excellence の運営を担当、リーダーシップの活性化と30カ国以上のフィールドプロジェクトの技術の質の向上に日々努めている。

――医学部在学中アジア各地で研修・留学、国際保健分野に興味をもち、横須賀米海軍病院でインターン、UC Berkeleyで公衆衛生を学ぶ

穂積:私は1989年に医学部を卒業、まさにバブル時代に大学生活を送っていました。今だと国際保健、当時熱帯医学と言っていましたが、その分野に興味を持つ人が増えてきて、私も夏休みにシンガポール大学の交換留学、タイの皮膚科病院の見学、難民キャンプにも行きました。バングラデシュでの新しい下痢症対策など、公衆衛生プログラムのことを雑誌で読んだとき、私には日本で臨床医になって患者さん一人ひとり診るより国際保健分野での計画立案やマネージメントの方が効率がいいと閃いてしまったのです。
医学部6年生の時、幸運にもWHOから戻られたばかりの遠藤弘良先生(現聖路加大学教授)に進路について相談することができました。
国際保健の道を進むなら、まず英語が必要ということで、横須賀米海軍病院でインターンをし、WHOの募集要項を見ると公衆衛生修士号が必要と知り、UC Berkeleyに留学することにしました。私の時代は授業料が年間約70万円、家賃も月4万円くらいでしたが、今はdual degree20カ月コースで 生活費も入れると1,500万円くらいかかるそうです。

順天堂大学卒業式(1989年)
順天堂大学卒業式(1989年)

大学卒業時、英語は全くできませんでした。横須賀でインターンを始めて半年たったころから段々慣れてきてBerkeleyでは鍛えられました。推理小説を一冊辞書なしで完読できた時のことは鮮明に覚えています。マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズは今でも好きですが、推理小説は次々読み進めたくなるので教科書より楽しいでしょう。マネージメントを担当するようになると、英語力は「物事を状況に合わせて最低限の言葉で正確に表現すること」が必要になります。単純に語彙を増やすということではなく、社会文化背景や社会通念などの把握が大切だと思います。

――UC Berkeley卒業後一旦帰国、再度アメリカに渡る

穂積:1991年修士号を取得して、一旦日本に戻りました。研修医とアルバイトを1年ちょっと、当時はインターネットもない時代で、履歴書をFAXでいくつか送り、無給インターンとして受け入れてもらったのがボストンの国際保健のコンサルタント会社、John Snow Incでした。バングラデシュに派遣され、約2ヶ月予防接種プロジェクトに従事、その後JPOを受けてUNICEFパキスタン事務所の北西辺境州のプログラムオフィサーに転職、続いてJICAのメキシコ母子保健プロジェクトに関わり、1997年小早川隆敏先生(当時東京女子医科大学教授)の推薦で、ハーバード大学公衆衛生大学院武見プログラムフェローに決まり、ボストンに赴任しました。

パキスタンの北西辺境州
パキスタンの北西辺境州(現在のKhyber Pkhtunkhwa 州のKohat県)で
下痢症対策のワークショップを初めて開催、強面の男性ばかり(1993年)