国際協力機構 人間開発部次長
吉田 友哉  [よしだ ともや]

吉田 友哉

1972年東京都生まれ。1995年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年、国際協力事業団(現 国際協力機構)入団。1999年 JICAフィリピン事務所保健医療分野担当所員として赴任。2002年米国国際開発庁(USAID)グローバルヘルス局出向。2004年 JICA人間開発部感染症対策チーム配属。2006年ロンドン大学衛生熱帯医学大学院「途上国の公衆衛生」プログラム留学(2007年修了)。2007年 JICA無償資金協力業務部保健チーム配属。2011年ガーナ保健庁地域保健政策アドバイザーとして赴任、地域保健政策実施支援及び保健管理情報システムの導入を支援 2014年 JICA人間開発部着任。アジア・大洋州保健事業、母子保健・栄養・デジタルヘルス担当課長・次長を歴任。

――大学では政治学を専攻、国際協力事業団(現国協力機構)入団

吉田:大学では政治制度の国際比較研究のゼミでイスラエルを担当しました。国際協力にも関心があって国際部の留学生向けの英語の講義なども受講し、3年時にはアメリカのミシガン大学に短期留学しました。
将来は国連に入ってグローバルな課題解決に取り組みたいと思い、そのために大学院修士課程への進学を計画していたところ、大学卒でも国際協力に携わることができる国際協力事業団(現国際協力機構)のことを知り応募しました。幸い入団することができ、最初の職場は青年海外協力隊事務局で南アジアに派遣される隊員のサポート、その後総務課で文書管理などを通じ業務の基礎を学びました。

――フィリピンで保健医療プロジェクトを担当、続いてUSAIDに2年間出向

吉田:1999年から3年間フィリピン事務所に赴任しました。保健医療分野のプロジェクトを中心に、上水道の整備、警察の捜査技術向上のプロジェクトも担当しました。保健医療に携わるのはこの時が初めてで、基礎知識が不足していましたが、日本から派遣されている保健医療の専門家からみっちりと専門分野の知識を教え込んでいただきました。この原体験が保健医療分野の楽しさを知るきっかけになりました。

USAIDの同僚と
USAIDの同僚と

続いてアメリカのJICAにあたるUSAIDのグローバルヘルス局に2年間出向しました。局内のドナーコーディネーションユニットに所属し、私は日本担当として日本とアメリカの保健分野における途上国現場レベルでの連携をプロモートするという仕事につきました。仕組みの違う二つの組織の連携ということで苦労もありましたが、現場レベルでお互いにメリットとなることを見つけ、様々な連携の可能性を見出すことができました。同じユニットにはイギリス政府やゲイツ財団からの出向者もいて、USAIDのみならず諸外国・団体のことについても知ることができました。

――JICA内の長期研修制度を利用してロンドン大学で国際保健を学ぶ

吉田:フィリピンで初めて保健医療に携わり、続いてUSAIDでも保健医療、その後JICA本部の人間開発部に戻り、感染症対策チームでアジア大洋州の予防接種、検査機関の強化、ワクチン製造支援などの仕事に就きました。
こうして、現場や他ドナー機関で、また日本でも継続して保健医療の仕事を続けることができたので、これを今後の自分のキャリアの核としたいと思うようになりました。そのためには、きちんと公衆衛生の基礎を勉強したいと思い、JICA内の長期研修制度を使って1年休職し、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院 ( LSHTM:London School of Hygiene & Tropical Medicine)に留学しました。ここは公衆衛生と熱帯医学を専門とするロンドン大学の大学院の一つで、様々なコースがあります。私は「途上国の公衆衛生」というコースに入りました。

友人宅で(ロンドン)
友人宅で(ロンドン)

途上国というキーワードの入ったコースは全世界を見ても他にはなかったのも決めた理由でした。応募にあたっては途上国での公衆衛生関連の業務経験が3年以上あることが条件でした。私はフィリピンで勤務経験と、多くの出張機会があったのでそれはクリア、志望動機のエッセイと元上司やUSAIDの同僚が書いてくれた推薦状2通を用意し、TOEFLで英語力を証明して合格しました。同期60人の半分強はアフリカ、アジアなど途上国出身者、日本人は2人だけでした。

LSHTM学位授与式
LSHTM学位授与式

英語に関してはフィリピンで英語で仕事をし、USAIDではアメリカ人に囲まれていたので話すこと聞くことには比較的慣れていましたが、大学院では次の授業までに読んでおく課題図書が膨大で、とにかく読むのに時間がかかり、論文では書く力が要求されました。大学を卒業して10年働いて、また学生に戻って集中して勉強し、今まで自分がやってきたことを体系的に振り返ることができたのは貴重な経験でした。正直大変な一年でもありましたが、この時に知りあった友人達とは後に出張先のインドやリベリアで会ったり、ガーナ時代に再会できたりと、今でもいい付き合いができています。