世界保健機関(WHO)トンガオフィス
カントリーリエゾンオフィサー 瀬戸屋 雄太郎  [せとや ゆうたろう]

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1974年東京都生まれ。2004年東京大学大学院健康科学博士号取得。2003年~2011年国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所 流動研究員・研究員・室長。2006年~2007年メルボルン大学国際メンタルヘルスセンター客員研究員。2011年~2013年WHO ジュネーブ本部JPO ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー。2013年~2014年WHO ジュネーブ本部テクニカルオフィサー。2014年~2017年WHO 太平洋オフィス(フィジー)テクニカルオフィサー。2017年~2021年WHO トンガオフィス テクニカルオフィサー。2021 年~現在WHO トンガオフィスカントリーリエゾンオフィサー。

――大学で精神保健を専攻し博士号を取得、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)に入職、研鑽を積む

瀬戸屋:東京大学の保健学科で精神保健を専攻、児童思春期のメンタルヘルスの研究で博士号を取得し、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所に入職しました。メンタルヘルスが重要な社会課題になり、厚労省がメンタルヘルスについての法律をつくり政策実施する際にはエビデンスを提供。同時に日本のメンタルヘルスの現状分析や地域中心の新しい支援方法等について国際学会で発表したり、日本とオーストラリアの共同研究で日本を代表して参加したり、国際的な活動にも注力し、ネットワークを広げていました。

――同僚がUNFPAに転じ、JPOの制度を知る

瀬戸屋:研究所の同僚がUNFPAに行くと聞き、JPO制度のことを知りました。それまでそういう制度があることを知りませんでした。私もチャレンジしてみようと思ったのが33歳。1年目は書類選考で落ち、合格したのは翌年34歳ぎりぎりの年齢でした。JPOは書類選考と面接で決まりますが、その年々の応募者数にも左右され、当時WHOには毎年一人しか派遣されていませんでした。それでも日本国内選考なので世界全体からの公募に比べると合格の可能性が高いのは間違いないです。面接では「フランス語話せますか?」と聞かれましたが、正直言ってほとんどできませんでした。

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2001年マラウィにてバックパッカー中

長期の海外経験は父親の仕事の関係で小学校1年から3年間シカゴにいたのと博士課程の時1年間休学してアジア・アフリカ・南米を回り、途上国の人びとの生活を肌で感じたくらいです。バックパッカーを経験して、私はたまたま日本に生まれただけでちょっとバイトを頑張れば世界一周できる恵まれた環境にいることに気づき、グローバルな視点で国際保健に貢献したいと考えるようになったのは確かです。その熱意やこれまでの経験がかわれたのか、最終的に外務省の方からWHOの候補としてとっていただきました。

――WHOのジュネーブ本部で3年勤務

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ジュネーブ・オフィスにて

瀬戸屋:ジュネーブ本部では精神保健・薬物依存部に配属、中規模の部局で、優秀な人がたくさんいて新しい部長の下で皆一生懸命でした。部長がスーパーバイザーだったので、様々なプロジェクトに直接関わることができたのは幸運でした。WHOとしてはじめての自殺、認知症のレポート作成や、WHOATLASという加盟国の精神保健に関するデータをまとめる仕事などまんべんなく多くのプロジェクトに関われ、WHOの本部での仕事がわかり、さまざまな専門家と意見交換できました。前職時代から学会発表を通じてアジアのメンタルヘルス関係者とのネットワークは持っていましたが、さらに世界中の人とネットワークができ、グローバルメンタルヘルスの専門家はそう多くはないので、代表的な研究者や実践家のほぼ全員と顔なじみになれました。

一番深く関わったのは、WHOが力を入れているメンタルヘルス・ギャップ・アクション・プログラム(mhGAP)でした。これは精神保健分野における様々なギャップ(サービス、人材、予算)を縮小することを目的としたプログラムで、医療政策に関わる行政官にメンタルヘルスの重要性を説くとともに、メンタルヘルスの問題について精神科医等の専門家だけでなく一般科の医師、看護師に、患者さんへの対応策を具体的に示す治療マニュアルを作成しました。そしてこのマニュアルを配布するだけでは不十分なので、実際のトレーニング・マテリアルの作成にも関わりました。ジュネーブ本部では比較的自由に動ける立場だったので地域事務所、国事務所がmhGAPを導入したいと言えば、私が派遣されました。アフガニスタンやイラクへの出張は印象深い経験です。メンタルヘルスの問題はともすれば軽んじられ、顧みられない熱帯病(NTD)より顧みられていないと冗談で言っていますが、アフガニスタン、イラク、シリア、ソマリアなど紛争地では政府の関心は強く、WHOも重点的に支援しています。あまり興味がない国にも政府に問い続けることが重要と考えています。WHOの仕事は何たるかを理解する基礎固めの貴重な3年間で、その経験をかわれて新しくできたフィジー太平洋オフィスのメンタルヘルスのポストに合格することができました。家族のこともあり、ジュネーブに残るかフィジーに異動するか悩んだのですが、新しい経験を求めて異動することを決めました。

アフガニスタン出張中、UNコンパウンドにて
アフガニスタン出張中、UNコンパウンドにて
バヌアツの保健省職員と休憩時間に議論
バヌアツの保健省職員と休憩時間に議論

――フィジーでメンタルヘルスの診断治療のトレーニングを実践

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mhGAPのトレーニング修了証書授与(クック諸島にて)

瀬戸屋:フィジーではメンタルヘルスのオフィサーとして太平洋の14の国と7つの地域の保健省をカウンターパートとして、各国の精神保健システムの強化を支援しました。ほぼ月に1回現地へ出張して、精神保健に関する法律の立案アドバイス、政策提言、人材育成、普及啓発活動など、3年間一人で全部やっていました。本部で構築したmhGAPを太平洋島嶼国で実践し、人々に届くサービスを拡充できたのは大きな喜びでした。