聖路加国際大学公衆衛生大学院 医療政策管理学 教授
一般社団法人サステナヘルス代表理事
小野崎 耕平  [おのざき こうへい]

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聖路加国際大学公衆衛生大学院教授(医療政策管理学)、一般社団法人サステナヘルス代表理事。ジョンソン・エンド・ジョンソン、アストラゼネカ執行役員などを経て現在に至る。厚生労働省保健医療政策担当参与、厚生労働大臣の私的懇談会「保健医療2035」事務局長のほか、世界経済フォーラム第4次産業革命日本センターアドバイザリーボードほか複数のグローバル企業や団体の社外アドバイザー等を務める。非営利独立シンクタンクの日本医療政策機構に2007年に参画、現在は理事。法政大学法学部法律学科卒業、ハーバード公衆衛生大学院修士課程修了(医療政策管理学)

――医療現場にはマネジメントの視点が欠けていた

小野崎:1990年代、まだ小さかったJ&J日本法人に入社、手術用医療器材の営業、マーケティングなどに10年ほど従事しました。医療機関の中でユーザーである医療スタッフに製品の使い方を説明するなど、手術室などの医療現場の最前線をつぶさに観察する機会に恵まれました。
その時気づいたのが、医療現場のマネジメントやオペレーションには大いに改善のチャンスがあるということです。手術室に関わらず医療機関全体の、意思決定、組織体制から、細かいところではスタッフの動線や物品管理、スタッフのスケジューリングなどは、改善の宝庫に見えました。現場のスタッフの相談に乗ったり、効率化できる方法を提案したりするうちに、いつのまにか、ある大学病院の理事の先生や看護部長にアドバイザーとして呼ばれ、相談相手として重宝がられるようになりました。20代で怖いもの知らず、いま思えば無謀ですが、それを受け止めてくれた方々は心が広かったのだと思います。
そんな中、1999年に患者取り違え事件や薬剤エラーによる死亡事故などが相次いで報道されました。組織をきちんとつくり人材を育て、経営の質を向上させない限り、医療現場の「個人の頑張り」だけでは、安全は守れないと痛感しました。

――ハーバード留学を真剣に考える

小野崎:医療安全や組織改革について独学で勉強していたのですが、そうした研究で圧倒的に最先端だったのがハーバード公衆衛生大学院でした。「だったら、ここで勉強してみよう。」ところが、英語なんてつかったことがない。J&J入社後に嫌々受けたTOEICは350点でした。4択のマークシート方式なので適当に解答しても300点台は出るテストです。英語はできない、お金もないという状態でしたが、英語は早朝仕事に行く前に通信教育の教材で勉強し、単語カードでひたすら暗記、風呂の中でもリスニングのテープを聞いていました。その甲斐あって、ロータリー財団の国際奨学生に選ばれ、大学院にも何とか合格しました。いま思えば効率が悪かったとしか思えないのですが、受験勉強や資金確保で結局7年かかりました。ハーバードはリーダー養成校であり、社会を良くするために何をやりたいか、どう貢献できるのかが重要視されます。私の場合やりたいことは明確でした。医療セクターにおけるマネジメントや組織の質を向上し医療の安全性と質を向上させるといったものでした。
ボストンに行って多くのことを学びました。日本はだめなところばかりだと思っていましたが、冷静に国際比較をすると日本の医療制度は相当完成度が高い、世界の多くの国はそれ以前の問題で困っている。どの先進国も日本と同じような財源や制度の悩みを抱えていますし、アメリカに至ってはそもそも皆保険が無いなど課題山積です。祖国を離れてはじめて、日本のありがたさを痛感しました。もちろんミクロでみると課題はまだまだあります。現状を改善しながら、次の世代にどうやって引き継ぐか、医療システムや社会保障の持続可能性の向上に真剣に目をむけないといけないと思いました。

――途上国出身留学生の意気込みに目が覚める

小野崎:寮の隣の部屋にいたアフガニスタンからの留学生、30歳くらいの産婦人科医が印象的でした。彼女に「卒業後帰ってどうするの?」と聞くと、真剣な眼差しで「私は首相になります。」と即答したのです。そして、がれきの山になっている彼女の自宅の周辺を撮影した一枚の写真を見せてくれました。「あなたにはわからないかもしれないけれど、うちの国は日本みたいに医療制度云々という次元の問題ではない。度重なる内戦でガス、電気、水道といったインフラはぼろぼろ、女性は出産=死という覚悟で子どもを産んでいる。こういう状況で国民を救うには、1人の臨床医として患者を診るだけではなく、医療以前の、この国の立て直しが先です。」彼女は卒業して数年後30代半ばで保健大臣になり、後にアフガニスタン国連大使として活躍しました。

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ハーバードの学生の日本視察ツアー(京都にて)

もう1人印象的だったのがタイから来た20代の医師でした。厳しい授業の合間に経済レポートの農業のページを読んでいる。「主要産業である農業、貧困層が従事する農業を立て直さないと健康は守れない。医者こそ農業を学ぶべき。」と睡眠時間を削ってがんばっている。お金がないから、寝袋一つで友達の家に居候しながら首席で卒業した人もいました。
途上国からハーバードに留学する人は小学校からずっと首席、GRE、TOEFLは全部満点で当たり前というような、国を代表するエリートしか来ていません。そういう人が、国を背負ってやってきて死ぬ思いで勉強している。自分の動機といえば、所詮キャリアアップ程度のこと。「自分はいったい何をやっているんだ。」と恥ずかしくなりました。自分さえよければいいのではなく、もっと社会のため、パブリックなことに時間を費やさないといけないと思うようになりました。