――WHO西太平洋地域事務局勤務(WHO WPRO)でマニラに

小原:WHO WPROでは、リプロダクティブヘルス医官として、各国保健省の母子保健行政官を技術支援し、リプロダクティブヘルス・母子保健プログラムを進め、基礎的なケアの拡充とサービスへのアクセス改善に取り組みました。個人を見る臨床、集団をみる公衆衛生、国をみての政策・戦略・計画立案支援と、産婦人科の専門医から始まったキャリアは段階的に広がり、積みあがっていったと思います。

――「国際保健に関する懇談会」に関わり「規範セッター」の重要性を認識する

小原:2015年に厚労大臣が招集した「国際保健に関する懇談会」に関連して、「国際保健政策人材養成ワーキンググループ」(中谷比呂樹座長)がつくられ、日本から国際保健政策人材を継続的に輩出する方途の提言が求められました。私はWHO WPROから戻ったばかりで国内勤務だったことから、分析や提言とりまとめのお手伝いをすることになりました。この時から、「規範セッター」という用語がつかわれだしたように記憶しています。その報告書によると、規範セッターの定義は、「高度な専門性を持ち国際的組織技術諮問委員などに参加し、国際的規範・基準作りに携わる委員」とされました。2015年12月の時点で、世界の規範セッター682人のうち、日本人はわずか18人(2.6%)、さらに、日本は他国に比べて女性が極端に少ないということもわかりました。このため、「国際規範をつくる場に日本人を送り、国際的影響力を強めていく、『規範セッター』となる日本人を増やす。」ことが提言に盛り込まれました。これが契機となり、日本国内の国際保健関係者の間で規範セッターが注目されるようになったのではないかと思っています。

――現場を知っているからこそできる提言

小原:私は国際的な委員として、2015年からWHO西太平洋地域事務局「新生児保健プログラムに関する独立レビューグループ」メンバー、2018年からWHO 本部「妊娠出産と周産期に関する優先 WHO 推奨改訂に関するガイドライン策定委員」メンバーを務めています。他にも、流産や母子垂直感染予防など、10を超えるWHOガイドラインの策定に、ガイドライン策定委員として関わりました。委員に選ばれるには、その分野の技術専門性、性別、世界的な地域を代表しているか、利益相反がないこと、などが検討されます。
近年は、国際的なガイドライン策定にあたって、公衆衛生・行政視点のみならず、女性、ユーザー、医療従事者などの多様な視点が重視されるようになってきています。委員として選ばれているのは、私が産婦人科医であり、日本での臨床経験と10年以上複数の途上国に滞在し、母子保健公衆衛生プログラムと産婦人科臨床に関する技術支援経験があるからだと思います。WHOと世界の専門家が「推奨案」を検討する際に、いくつかのアジアの国の現場ではこのように解釈、運用されるだろうなということは、経験からわかります。グローバルレベルで望ましいことであっても、現場ではその通りには実施できない、適用できないこともあります。私は会議では、いくつかの国のリーダーや行政官、実施する人の顔を思い浮かべ、彼ら彼女らの考えを委員会で代弁するようなコメントを行うことで、現場の意見をWHOガイドライン(推奨)の「実施時の留意点」などに反映させるようにしています。これは現地経験、現地の多様な方との対話の経験が活かせるところです。
また、以前はこういったガイドライン策定委員会はWHO本部のあるジュネーブで開催されることが多かったのですが、近年、オンライン会合と電子メールでのコメント付けによる協議も増えてきて、現地に行く必要もなく、ラオスや日本をベースに勤務をしている時でも技術的な貢献ができるようになってきています。夜間のウェブ会議が続くと体力的にはきついこともありますが、実際にガイドラインが出版され、その推奨を多様な関係者にお伝えし、いろいろな国でのガイドライン策定や改訂に生かしていただけるのは楽しみであり、やりがいを感じています。

ラオス国の「郡レベル保健情報システム(DHIS2)」調整アドボカシー会合(2018年)
ラオス国の「郡レベル保健情報システム(DHIS2)」調整アドボカシー会合(2018年)

――交渉の場で発揮できる調整力、言語は文化的な背景の理解が必要

小原:英語は流暢に越したことはありませんが、調整力も重要です。コミュニケーションを図るには言葉を超えるものも必要で、まず人の話をよく聞く、話をまとめるための仲介、コーディネートの方法を考え、必要に応じてオプションを提案する。それが「コミュニケーションをとれる」ということだと思います。
共通言語として英語で意思の疎通をはかっていても、国によって言葉のとらえ方、考え方は違います。例えば、accountabilityやhuman rights、一つの言葉が内包する意味が異なっているため、国によってはどうしても理解が難しい部分があります。
先進国の国際専門家が声高に「欧米的な価値観」をアジアで押し付けても共感を得られないこともあり、その仲介的な役割果たすのが私の仕事かなと思うことがありました。例えば現地の法律に対して「権利が守られていない」と主張・攻撃をするのではなく、現行の法律や法令の範囲内であっても、まず女性の健康を守り改善に導く。段階を踏んで歩み寄り、関係者のお互いの顔を立てて、結果的に現地の人々にとってのよい結果につなげることが大切だと思います。

――2018年国際産婦人科学会連合の女性産婦人科医賞受賞

女性産婦人科医賞受賞式
女性産婦人科医賞受賞式
(2018年 リオデジャネイロにて)

小原:「長年の途上国の母子保健・リプロダクティブヘルスを向上させる技術支援活動」が受賞理由とのことでしたが、世界の女性の健康を守り、不公平を減らすことができればと思って産婦人科を専攻し、低中所得国の保健医療の改善に少しでも貢献できたのは幸せだったと思います。
これからグローバルヘルスに関わりたい人は20-30年後のグローバルな疾病構造を考えて専門を決めると良いと思います。私のころは母子保健、特に高い妊産婦の死亡への対応が喫緊の課題でしたが、今ではかなり改善され、それ以外のところでの女性の死亡や疾病が課題となっています。 カンボジアでも、子宮頸がんなどのがん対策が求められています。
2012年から日本産科婦人科学会(JSOG)とカンボジア産婦人科学会(SCGO)の学会間交流が始まりました。JICA草の根事業として、HPV テストによるがん検診と、首都の国立3 病院での子宮頸部円錐切除術(LEEP 法)による早期治療が開始されています。2020年にWHOが子宮頸がん排除にむけての世界戦略を発表しました。低中所得国でHPV テストによる検診の実施可能性を検証した例は乏しく、このプロジェクトの知見をまとめた学術論文は大きな注目を集めるようになりました。引き続きカンボジアで効果的なヘルスプロモーションと、がん検診対応能力の拡大を目指しています。
現在は、新型コロナウイルス感染症の影響による渡航制限や現地における移動制限のある状況です。日本人の専門家が現地に行かなくとも、ウェブ会議やICTを活用し、現地主導で進められる遠隔事業実施モデルの構築が求められています。今年は、ウェブ会議でアドバイスや議論を行い、現地の産婦人科学会理事や学会員を中心に活動を進めています。試行錯誤をしつつも長年の信頼関係のおかげで進捗は概ね順調です。月に数回、日本とプノンペンの複数の機関をつないで、活発な協議が行われています。
医療職はいろいろな形で国際貢献ができ、日本外交の一翼も担えます。特に国際保健の分野では、女性であることがアドバンテージとなることもあり、活躍の場は広がってきています。若い皆さまが夢をもって歩まれることを期待しています。

インタビュアー 清水眞理子