――今の私なら大丈夫、自信をもって MSF 事務所に連絡

白川:すぐにMSFと連絡をとり面接に行きました。今の私が採用されなかったら誰が採用されるのか?自信はありました。英語含めて、看護師としての技量も磨いた。MSFの活動内容も把握していた。小さいころから MSFを知り、モチベーションは誰にも負けない。そして無事MSFに登録できた喜び、派遣のオファーを待ちました。

――2010年スリランカに赴任

2012年イエメンでスタッフと
2012年イエメンでスタッフと

白川:2010年5月スリランカからオファーがあり、ビザ取得後8月に出発。8か月いました。治安は安定とは言えませんでしたが、戦争は終わっていました。
身の危険はなかったものの、武装した軍人が50メートル間隔で立っていて、戦車が普通に走るものものしい感じはありました。 政府が運営している病院でのサポート活動が始まりました。オペ室、病棟のクオリティの向上、感染管理をやってほしいと言われ、看護師の教育、指導が主な仕事でした。
病院があった場所は封鎖下にあり、人の出入りも制限され、医薬品も足りていませんでした。何事も許可が必要で薬事法の壁もあり、なぜこの薬をつかっていけないのか理解に苦しむこともありました。
その後派遣されたパキスタン、シリア、イエメン、南スーダンは紛争地で、一般の人が空爆、銃撃戦に巻き込まれ、次々搬送されてきました。そういった戦地含めてこれまで17回派遣されました。

2013年シリアでやけどを負った少女
2013年シリアでやけどを負った少女
2014年南スーダンキャンプ内
2014年南スーダンキャンプ内
栄養失調アセスメントを行う

――多国籍スタッフとチームを組んで気づいたこと

2015年イエメン北部
2015年イエメン北部、国境なき医師団が
アウトリーチ支援している病院で現地の
人びとと病院は空爆で一部が崩壊した

白川:日本人として普通に考えていることが実際通用しないことはありました。 オーストラリアで感じたのは、日本の看護師はいい意味で献身的、いろいろお世話してあげるのが看護師の美徳と考え、患者さんも頼ってこられます。「あれとってほしい」「背中かゆい」とナースコールが鳴ります。オーストラリアの看護はもう少しビジネスライクで、患者さんもそれを理解しているため、そのようなことでは呼びません。私は献身的なことが看護師としての誇りであり、喜びでもあったので、ものたりないなと思いました。
日本人は言わなくてもわかる、察する文化ですが、疑問に思ったことは口に出して聞いた方がいい。ひとつ伝えるには10回言った方がいい場合もある。言わなければ伝わらないし、「日本人は何も言わないから何を考えているのかわからない」と思われる場合もあるのです。
MSF の海外派遣スタッフは待遇という点ではおそらく自国で働いていた方が恵まれているかもしれません。それでもなおこの活動に参加するのは、使命感、一番医療を必要としている人に医療を届けたいという思い。それは一緒にチームで働いていると言葉に出さずともわかりますし、初めて顔を合わす人ともやっていけます。

――つらいことがあっても熱い想いがあるから続けられる。

2013年シリア北部イドリブ県にある国境なき医師団の病院で、重度の熱傷患者を手当てする
2013年シリア北部イドリブ県にある国境なき
医師団の病院で、重度の熱傷患者を手当てする

白川:私の場合、現地スタッフの教育、指導を任されることが多く、むずかしく感じることがありました。彼ら彼女らは資格をもっていてプライドはあるけれども技術的にも経験的にも未熟でした。教育を受ける機会を戦争に奪われたと言えますが、日々の薬の禁忌や投与量のミスは、その向こうに命を守る患者さんがいるので絶対に正していかないといけません。指導するうえで文化的背景も考慮し現地スタッフとの関係をうまく築いていくことは重要です。
セキュリティの問題で患者さんが待っているとわかっていても行けない。真に医療を必要としている人にたどり着くことすらむずかしい現場。頑張っても頑張っても血を流した人が次々運ばれてくる。手術が続き、泣いて悲しんでいる暇がないという日々もありました。与えられた環境、条件下での患者さん対応を頭の中でうまく組み立てて行動するには応用力が必要です。この応用力はそれまでに十分な経験を積んでいたからこそ発揮できるものです。

――MSF 採用担当として後輩を応援したい

白川:2018年7月からMSFの採用担当になり、講演会で私の経験を話したり、個別希望者の相談に応じたりしています。
私が一番苦労したのは英語力でしたが、医師であれ、看護師であれ、その道のプロとなる十分な経験を積んでから行くことをお勧めします。情熱がないと一歩踏み出せませんが、情熱だけでは務まらない。緊張した場面で実力を発揮するには経験が必要です。つらいこと大変なことを乗り越えられるのは「私はプロ」と言える気概だと思います。
またMSFの活動に参加したいが家族が反対するという声もよく聞きます。私の場合も父は保守的な人でしたから、看護師になる時もオーストラリアに行くときも反対されました。MSFで安全安心ではないところに行く際には「どんなに反対してもお前は行くんだな。小さいころから口にだしていたから。」と言われた記憶があります。絶対に行くという決心の方が強かったのですが、普段から口にしておいてよかったと思います。そんな父も今では私の活動を認めてくれています。MSFへの応援団は確実に増えています。熱い情熱と経験を積んだ日本の仲間がさらに増え、日本が誇る国際医療への貢献の一翼を担えればと思います。

MSFに登録された人たちへの研修を行う
MSFに登録された人たちへの研修を行う

インタビュアー 清水眞理子